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冬の阿蘇山

 

家創り・人創り・心創りを応援します。

 会社ご案内   会社設立    1984年

                                     資本金     2000万円

                                代表取締役  松田博彦

                      

                              matsuda@bronze.ocn.ne.jp

           

 
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 (社長の毒言)

 

 

20111229

「一流」と「上流」を混同した教育が、間違いの始まり!

 

子供の教育問題は頭が痛い。

私たちが教育を受けてきた時代よりももっと競争が拡大しているようだ。

思い出してみたら、中学生のクラスで頭から10人ぐらいは一流高校へ進学し、

それから10人ぐらいは2流高校へ進学し、それ以下はどうでもいい高校へ

進学していたと思う。

高校生になると、1流高校の生徒全てが何らかの大学へ進学し、

2流行校の半分がその辺の大学へ進学していたと思う。

だから中学のクラスの内3分の1ほどが何らかの大学へ進学したが、

後の3分の2は高校卒業後就職し、スキルを身に着けて生きてきたのだ。

すなわち人口の3分の1が指導的役割を担う仕事についてきたのである。

しかし今はすべての高校生が大学に行く。

何をしに行くかの目的もなく、ただ世間体を考えて行くのだ。

子供も親もあやふやな考え方だから、卒業しても職がない状態なのだ。

大学卒業してしっかりした職に就けるのは半分とみていい。

後は不安定な職に就くか、職にもつかないかの生活が待っている。

これが我が国の就職状況なのだ。

親も子供も教育者も根本的なことから変えていかないと欧米には追いつけないと思うよ!

 

 

                                    北村隆司

 

 

 

アゴラに載ったとにかく一流大学という弊害と子供の権利の視点がまったく

抜けている教育基本条例批判を読んで、日本の教育を改めて考えてみた。

 

殆どの先進国家では、法的身分としての上流階級はなくなったが、

「事大主義思想」の発祥の地である東北アジアでは、強いもの、

富める者への憧れから、支配的な風潮に迎合する向きがまだまだ強い。

特に日本と韓国にその傾向が顕著である。

 

職業・学歴・財産など権力や金融的利害に有利なエリートに対する憧れが強い日本では、

子供の上昇志向に期待をかける親が、他人を押しのけても上に立つ子供を良しとする。

 

こうして「一流」と「上流」を混同し、「大人」と「子供」の視点を

取り違えた親のエゴが、日本の教育を狂わせた様に思う。

 

「機会平等」の実現に苦労して来た米国の教育は、「一流」を目指せとは言っても

「上流」を目指せとは言わない。一定のレベルを目指す「一流」と、

他人との比較で成り立つ「上流」とでは、似て非なるものがある。一流志向は、

独立の気概のある「個人主義」を育て、上流志向はエゴの塊である「己人主義」を生む。

 

「夢」を大切にする米国では、幼稚園や小学校の先生が子供の「長所」を

見つけるために使う時間の永さには感心する。

一方、世間的な成功を目指す日本の教育は、「夢」を現実的でないとして遠ざけ、

「他人の成功モデル」を押しつける傾向が強い。こうした押し付け教育は

「短所の矯正」と「出世主義」に偏り、「塾」の異常な流行や、

子供の時代を経験しない「変な大人」を作るなど、日本社会をいびつにしつつある。

 

社会に残した貢献で人生を測るアメリカと肩書き重視の日本の違いは、

新聞の死亡記事を比べると良く判る。日本の死亡記事が、

肩書きと履歴が中心であるのに対し、米国の死亡記事は、

故人が社会に残した足跡を中心に書かれている。

 

社会に認められる事が嬉しい事は、何処の国でも同じであるが、

自分の人生が刻んだ足跡なら兎も角、他人から与えられた肩書きだけで

人生を評価されるとしたら、寂し過ぎはしないだろうか?

 

私が引退した時に、ある部下が「節目帳」と言う日記帳の様なものを贈ってくれた。

 

その冊子は「“節目帳”は遺言状ではありません。自分の人生を正面から見直し、

自分がどんな人間なのかを知り、明日からの自分がどうありたいかをイメージする 

"あなた自身の為のノート“ なのです」と言う注意書きから始まっていた。

 

我が人生を「節目帳」に書き込み始めて気が付いた事は、

あれだけ時間を懸けて学校で学んだ事が、人生の大切な項目に殆ど

関係ないと言う事であった。日本の教育の価値観は、どう見ても狂っている。

 

「栴檀は双葉より芳し」と言う。日本も、子供の特徴と夢を活かせる教育に切り替え、

現実的な野心より、大志を抱ける世の中にする事が大人の義務である。

 

その為には、大人が事大主義的な価値観を子供に強制しない事と、

分列行進の様な画一的教育しか頭にない、文科省、文教族、日教組、

PTA等の既得権益者から、子供を解放する事から始めるしか道はない。

 

日本には「一流教育」も「子供の為の教育」もない事を確認してくれた、

冒頭のアゴラの記事であった。

 

 

120111228

芭蕉

 

いよいよ年も暮れて新年を迎える準備にかかりました。

今年はいろいろありました。東日本大震災に始まり、

民主党崩壊の兆しで終わろうとしています。

来年からはその傾向がはっきりするでしょう。

総選挙が近づくにつれて内部崩壊が始まったのです。

政党末期の状態が見て取れます。

民主党の議員たちも必死なのです。

それは政治信条などどうでもよく、ただ生き残りを図るために、

必死になっているのです。

それこそが民主党崩壊に手を貸しているのだから、面白いものです。

国民をだまして政権をとっても、長くは続かないということです。

来年は面白くなりそうです。私のブログも全開して必死で書いていきます。

 

 「年暮(くれ)ぬ笠きて草鞋(わらじ)はきながら」。

貞享元(1684)年の暮れ、松尾芭蕉40歳の句である。

世の中は歳末で何かとせわしいが、私はただただ旅を続けるだけです。

旅を友とし、漂泊に生きた芭蕉らしく、年の瀬にはいつもかみしめたくなる。

 

 ▼だが芭蕉没から22年後に生まれた与謝蕪村にとってそれ以上の句だった。

藤田真一氏の『蕪村』によれば「笠とわらじを、生活の俗塵(ぞくじん)を

超越する芭蕉精神の象徴」と、理解していたにちがいないという。

「芭蕉去(さり)てそのゝちいまだ年くれず」という「過激な」句を残す。

 

 ▼そういえば、野田佳彦首相も「旅から旅」の年末のようだ。

2日間の中国訪問から帰ったと思ったら、

1日も置かず昨日27日にはインドに飛んだ。

むろんこちらは笠や草鞋ではなく専用機だが、

恐らくゆっくり1年を振り返る余裕もないあわただしさだろう。

 

 ▼その上明日帰国した後も、簡単には年を越せそうにない。

難問が山積しているからだ。特に「年内をメドにまとめたい」と

していた「社会保障と税の一体改革」の素案の行方があやしくなってきた。

来年に持ち越しとなる可能性が強いという。

 

 ▼あやしくしているのは、民主党内の抵抗勢力である。

消費増税に反対して、離党しようとする議員が続出している。

しかも反対派には小沢一郎氏に近い人が多いそうだ。

だからもはや政局、つまり野田首相を引きずり降ろすための政争の季節だと

見る政治記者もいる。

 

 ▼これでは首相はとても芭蕉の心境にはなれないにちがいない。

いや、だからこそ今は、党内抗争や政権維持といった「俗塵」を離れ、

何が国のためかを考え判断した方がいい。それこそ、

芭蕉や蕪村の「年末」から学ぶことである。

 

20111227

テレビがひた隠す2009.7.14野田佳彦大演説

 

民主党がダメな政党であることは皆に意識済みである。

それならば即座に解散し国民に信を問うのが筋であるが、

民主党はその要求に応じない。

なぜか?

それは職を失いたくないからなのだ。

なんと破廉恥なのだろう。国会議員たるものが就職の為に議員になっているのだ。

一日でも長く議員にとどまり、政治資金パーティーでがっぽり稼がないと

元が取れないとでも思っているのか、それとも次がないから今のうちに

稼いでおこうという計算なのか?

いずれにしても解散が怖いのです。

政治家としては3流なのだ。

主義主張の為に全力で政治に取り組んでいるのではないのだ。

生活の為に政治をしているのだから、迫力がない。

甘い言葉と、できもしない公約でだましてとった政権だから、

任期中の4年間はへばりつきたいのだろう。

迷惑なのは国民なのです。

今に見ておれ次の総選挙では穂トンで落選させるから

と思うのは私だけではないようだ。

 

  植草一秀

 

日本経済はいま、本格浮上の千載一遇のチャンスに立っている。

3.11の大震災、原発事故は日本に修復不能な大きな傷を残したが、

震災の復旧・復興事業を実行することは政府の責務であり、

長い時間はかかったが、漸く大型復興政策が動き始める局面を迎えた。

 

 2011年度は補正予算がなんと4度も編成される。

この間に事情が変化したわけではない。1度で済む補正予算編成が

4度にも分散されていることに、政策実行力の欠落が如実に示されている。

 

 必要な対策なら、早期立案・早期執行が鉄則であったはずだ。

 

 ところが、震災復旧・復興政策の策定は遅れに遅れた。

 

 最大の理由は、増税を打ち出すことにあった。財務省が、

増税が本決まりになるまでは政府支出を追加することを拒絶したのだ。

 

 財務省が諸悪の根源である。この諸悪の根源である財務省を

コントロールできないこところに、菅内閣、野田内閣の能力の低さが明確に示されている。

 

 本来は、内閣が財務省をコントロールするべきだが、菅内閣も野田内閣も、

逆に財務省によってコントロールされている。これを本末転倒と言う。

 ほとんどの政治家は財務省をコントロールできない。

東大法学部を卒業した偏差値秀才が10人並ぶと、委縮してしまうのだ。

 

 本来、委縮する必要のない相手に、委縮してしまう。委縮する政治家は

大きな勘違いをしている。

 

 財務官僚は、単にペーパーテストに少しだけ強いというだけである。

ペーパーテストに強い人間が、洞察力、直感力、大局観、判断力、

バランス力に秀でているのかと言えば、そうではない。

 

 経済政策について言えば、彼らのほとんどは経済学の知識、見識、学識を持たない。

財務省エリートの大半は法律職および行政職の職員であり、

経済問題については純粋な素人である。

この素人が経済政策を仕切ろうとするから、何度でも同じ間違いを繰り返す。

 

 たかだか偏差値が少し高いだけで、それだけのものだ。

財務官僚をのさばらせておくことが、さまざまな不幸を生み出す原因になっている。

 今年度、政府は20兆円の補正予算を組む。GDP比4%の大型景気対策になる。

この対策で日本経済を本格浮上させるべき局面なのだ。

株価は著しく割安な水準にあるから、日本経済浮上の見通しが広がれば、

株価上昇−景気回復−金融安定化の好循環が生まれる。

 

 財政に余裕はなくなってきている。なけなしの金をはたくような経済対策なのだ。

そうであるなら、この貴重な景気対策を最大限に活かすことこそ、政府の責務である。

  

 この局面で野田佳彦氏はひたすら超巨大増税を推進している。

この超巨大増税の影が広がるに連れて、景気対策の効果が著しく減殺されることに、

なぜ目を向けないのか。

 

 財務省の職員はその知恵を、国民のために働かそうと考えない。

財務省の利益のためだけに活用している。だから、

このような根本的な過ちを繰り返すのだ。

 

 もうひとつ、見落とせない重大事実がある。

 

「増税の前にやることがある」

 

 これが、私が鳩山元首相に対しても提言した基本方針である。鳩山元首相は、

この進言を採用してくれた。2009年8月総選挙に際して、鳩山元首相は、

 

「増税よりも前にやるべきことがある」

 

のスローガンを掲げて、政府支出の無駄排除をやり抜く方針を明示した。

これが、2009年8月総選挙での民主党と主権者国民との約束だった。

 

 いまの政権の枠組みは2009年8月総選挙結果を背景としたものであるから、

この政権公約は現在も有効である。

 

 この政権公約を踏みにじっているのが野田佳彦氏である。

 

 読売新聞は、小沢一郎民主党元代表の「政権公約を守れ」の主張が無責任であるとし、

主権者国民との契約を破って消費税増税に突き進むことが正しいと社説で訴える。

狂気の新聞、ごみ新聞としか言いようがない。

だから、「ゴミ売り新聞」と揶揄されるのだ。

 

「増税の前にやることがある」と言う言葉に従うとき、何をやるべきなのか。

 

 掲げられてきた事項は三つある。国会議員定数の削減、公務員給与の引下げ、

そして天下りの根絶だ。

 

 何度でも繰り返す。野田佳彦氏は2009年7月14日の衆議院本会議で

大声を張り上げて次の演説をした。

「私どもの調査によって、ことしの五月に、平成十九年度のお金の使い方で

わかったことがあります。二万五千人の国家公務員OBが四千五百の法人に

天下りをし、その四千五百法人に十二兆一千億円の血税が流れていることがわかりました。

これだけの税金に、一言で言えば、シロアリが群がっている構図があるんです。

そのシロアリを退治して、働きアリの政治を実現しなければならないのです。

残念ながら、自民党・公明党政権には、この意欲が全くないと言わざるを

得ないわけであります。」

 これが、麻生太郎内閣に対する不信任決議案への野田佳彦氏による賛成討論の

肝の部分である。

 議員定数、公務員給与、天下りが三点セットだった。しかし、そのなかでも、

野田佳彦氏がとりわけ重要だと的を絞ったのが天下りの根絶なのだ。

 

ところが、いま、消費税増税論議を目の前にして、天下り論議が完全に消えている。

 

 メディアが財務省の要請で、この問題にまったく触れないのだ。

 

 私は、2009年7月14日の野田佳彦演説が極めて重要なものだと考えて、

有料メルマガのサンプルにこの発言を収録した。

 

 テレビが繰り返し映像を流すのに、これほどふさわしい野田発言はないはずだ。

 

20111226

こんな政党モ〜いらない

“ペテン”民主、国民への公約大崩壊!     

  .

 

コンクリートから人への大合唱を唱えた民主党が自己矛盾に気が付き、

公約を次々とおろしている。

こんな嘘つき政党はかってなかったと言われるわけなのです。

民主党が掲げる甘い政策を信用して、国民は総選挙で民主党を選択しました。

その結果国政に穴が開き、外国には侮られ、国債乱発でムダ金をばらまき、

外国人にも支給する子供手当を実施し、こんな政権見たことないと思われています。

国が乱れているときは変な政権が勃発するが、長続きはしないのが世界の常識です。

次の総選挙では、消えてなくなる政党なのだが、一刻も早く政権交代しなければ、

日に日に国力は減退しています。

国民は倒閣運動を起こさなければ、この国の将来は先細りとなるでしょう。

 

工事再開が決まった八ツ場ダム。また、公約撤回だ

.

 民主党のマニフェスト崩壊が最終段階に突入した。

野田佳彦首相らによる23日の政府・民主3役会議で、

「建設中止」と明記していた八ツ場ダム(群馬県)の建設再開を正式決定し、

24日に閣議決定した来年度予算案にダム本体工事費を計上したのだ。

これ以外にも、民主党マニフェストはことごとく反故にされており、

国民の失望はさらに深まっている。

 

 「党は工事費の予算計上に反対するが、最終決定は政府に委ねる」

 

 前日まで「断固反対」と公言していた前原誠司政調会長だが、

最終的に政府側の決定を容認した。自民党の安倍晋三元首相は同日、

BSフジの「PRIME NEWS」で「本当に『言うだけ番長』に

なってしまった」とあきれた。

 

 会議には、政府側から野田首相と藤村修官房長官、

党側から前原氏と輿石東幹事長、樽床伸二幹事長代行らが出席。

 

 前原氏は「承服できない!」と最後の抵抗を試みた。

輿石東幹事長も「政調会長1人に責任を負わせるわけにはいかない。

党全体としては反対だ」と肩を持ち、1時間以上も堂々めぐりが続いた。

野田首相は泥の中のどじょうのように無言のまま。最後は、

輿石氏が狙いすましたように「最終決断は政府に委ねる」と議論を引き取った。

 

 野田首相と輿石氏の「出来レース」のような決着に、

前原氏は会議後、「極めて遺憾だ」と述べたが、政調会長辞任については

「キャッチャーとして野田政権を支えることに変わりはない」ときっぱり否定した。

 

 それにしても、民主党の2009年衆院選のマニフェスト(政権公約)の

崩壊はすさまじい。八ツ場ダム中止だけでなく、子ども手当や高速道路無料化など、

目玉公約はことごとく頓挫している。

 

 前出の安倍氏は、番組で「民主党の場合は、まさに、

本当に言うだけじゃないですか」と批判し、「(政府が国民に対して)すみません。

間違えました」と説明すべきとの考えを示した。

 

 

 

0111219

日韓首脳会談 「融和」外交が禍根残した

 

日韓問題で内慰安婦の問題は深刻だ。

双方に主張はあると思うが、慰安婦を日本の軍部が徴用したりするはずはない。

理由は些細なことでも大げさにする韓国国民の民族感情からして、

当時の軍部が植民地支配に妨げとなるようなことはしないからだ。

もし当時強制的にそのことをしたならば、暴動が起きていて当然だからです。

また強制連行されてきた朝鮮の労働者が、国内の炭鉱で働かされたと

主張してきたことは、事実でない事が明白となりその主張は沙汰やみになっている。

同じように慰安婦は当時いたことは事実らしいが、強制的ではなかったことは明白だ。

事実を曲げて補償を請求することは両国関係に対して、一つもいいことはない。

韓国は事実でないことを取り上げて、政府間の問題としていることは、

これから大きな障害となるだろう。

そんなに事実をネジ曲げて、主張するのなら、韓国と友好関係は築けないだろう。

これからは韓国とは国交断絶しても日本の主張を通すべきだ。

いやな近隣とは付き合わないのが一番いい方法だ。

竹島もおとなしくしていたから、不正に占領され、

今では太古の昔から韓国領であったと主張しているのだから、始末に負えない。

さらに対馬も韓国領と言っているのだから、

彼らとまともに付き合わない方がいいだろう。

隣人とはもめたくはないが、泥棒ならガードしなくてならない。

【主張】

 京都で行われた日韓首脳会談は、李明博大統領が慰安婦問題を最前面に押し出し、

大半の時間を割いて「優先的に解決する勇気を持たなければならない」と

野田佳彦首相に政治決断を迫り、一方的展開に終わった。

 

 韓国大統領府によれば李大統領はソウルの日本大使館前に設置された

慰安婦の碑について、「日本の誠意ある措置がなければ第2、第3の像が建つ」と

警告したという。これは恫喝(どうかつ)に近い発言だ。

 

 韓国は、憲法裁判所が8月に慰安婦への賠償請求に努力しない政府を

違憲と判断して以降、この問題で政府間協議を求めてきた。

李大統領が迫った政治決断は、この協議に応じよということだ。

 

 保守政権を率いる大統領は、これまで対日配慮もあって慰安婦問題の

言及を避けてきた。大統領が問題を蒸し返し、脅迫まがいの言動までしたのには

耳を疑う。来年の大統領選などを控え、韓国世論に迎合したとしか思えない。

 

 しかし、昭和40(1965)年の日韓基本条約で両国の請求権問題は

「完全かつ最終的に」解決されたと明記されている。

野田首相はもっと以前から国際法の原則と順守を李大統領に伝え、

この問題で一切協議に応じないことを明確に断言しておくべきだった。

だが、会談では首相は「わが国の法的立場は決着済み」としながら、

「これからも人道的見地から知恵を絞ろう」と応じた。圧力に屈したといえる。

将来に大きな禍根を残した。

 

 慰安婦の碑についても、「誠に残念だ」と早期撤去を求めるにとどめたという。

これで日本の最高指導者として最低限の務めを果たしたといえるのか。

 

 そもそも慰安婦を日本の軍や官憲が強制連行した証拠は何一つない。

にもかかわらず平成5年、当時の宮沢喜一内閣の河野洋平官房長官は元韓国人慰安婦の

“証言”だけで強制連行を認める虚構の談話を発表した。

 

 自民党政権時代から続く日本の歴史を貶(おとし)める対韓外交姿勢が今も

尾を引き、民主党政権の相次ぐ融和的な外交が問題のさらなる悪化と紛糾を招いている。

 

 野田首相は直ちにこれを断ち切るべきだ。対中国、

北朝鮮問題など共通する課題では協力すべきだが、慰安婦、

竹島など国益として譲れない問題では、毅然(きぜん)として

主張を貫かなければならない。

 

 

 

20111216

野田政権発足100日で正体見えた! 民主党執行部のダメぶり

野田内閣の人気の凋落ぶりも他の民主党政権と同じなのだ。

それはそうだろう。

どんなにあがいても、民主党が政治をすることにより、

未熟さが噴き出てしますのだから、首相を変えても同じなのだ。

政党そのものが変わらなければ、いい政治はできないということです。

あっちふらふら、こっちフラフラで、よたよたして政治をしているが、

見るに堪えないというのが本音だろう。

あと何か月、政治をするのだろう。

だんだん哀れになってきました。

早く政権を放り投げて、退散した方が政党の生き残りのためにはいいのではないかと思う。

 

 

 政権発足100日を経て行き詰まりを見せている野田佳彦首相。

党内融和を優先させ重要案件を先送りさせても内閣支持率は下降の一途。

その元凶を探ると民主党執行部のダメぶりが浮かび上がる。

(坂本一之、杉本康士、村上智博)

 

■党内融和が裏目−輿石東幹事長

 

 「党内融和の象徴」として首相から党運営を委ねられた輿石東幹事長。

就任当初は「参院のドン」として君臨した自民党の

青木幹雄参院議員会長ゆずりの剛腕を発揮し、

小沢一郎元代表らの動きを封じながら、

衆参ねじれ解消に動くのではないかと恐れられた。

 

 ところが、結果は腰砕け。

日教組で培った組織偏重の手法は裏目に出てしまい、

自民、公明両党は対決路線にかじを切った。

 

 先見性と決断力を疑問視する声もある。代表的なのは、

環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の交渉参加をめぐる対応。

離党をちらつかせる慎重派を押さえ込めず、11月10日の政府・民主三役会議で、

同日夕に予定された「参加表明」延期を首相に進言した。

 

 これを真に受けた首相は翌11日に記者会見を延期し

「交渉参加に向け関係国と協議に入る」と玉虫色の表現でごまかした。

結果は「決断できない首相」と印象づけ、

内閣支持率は下落。

輿石氏は「熟慮を重ねて慎重派に配慮した会見だった」と満足そうに語り、

自らの力不足を首相に責任転嫁した罪の意識は感じられない。

 

 一川保夫防衛相と山岡賢次国家公安委員長への参院問責決議への対応も同じ。

続投させれば自公との協調路線は崩れ、

来年の通常国会の混乱を避けられないにもかかわらず

「辞める必要はない」の一点張り。

小沢氏に近い両氏のクビを切れば自らの沽(こ)券(けん)に関わると

保身に走ったとしか思えない。

首相が「不退転の決意」を表明した消費税増税に関しても完全に後ろ向き。

小沢氏側近の鈴木克昌筆頭副幹事長らが増税反対の署名活動を始めても

「けしからん行動でもない」。党内には「輿石氏は内心では社会保障と

税の一体改革の先送りを狙っている」との見方が強まっており、

このままでは首相の足を引っ張るだけの存在になりかねない。

 

■「言うだけ番長」連敗続き−前原誠司政調会長

 

 「考え方に隔たりがある。法案をお出しになるんでしょうから

国会で協議しましょう」

 

 15日の民主、自民、公明の3党政調会長会談で、

自民党の茂木敏充政調会長はこう突き放した。

8月に民自公3党幹事長が合意した子ども手当、高校無償化、

農家の戸別所得補償の見直し協議はこれで決裂。

平成24年度の予算関連法案成立は至難の業となった。

何のための4カ月半だったのか。

 

 やはり戦犯は前原誠司政調会長だろう。

政策の最高責任者なのに根回しした形跡はなく土壇場で「子どものための手当」案を

提示すれば公明党も「誠意がない」と怒って当たり前だろう。

 

 「前原外し」も進みつつある。

復興債の償還期限をめぐる3党協議は幹事長会談に格上げすることでやっと合意した。

国会終盤では国家公務員給与削減法案修正に際し

、自公案丸のみと国会延長を独断で打ち出し、現場は大混乱。

「労組だけが支持者じゃない」と言い放ち、連合も激怒させた。

 

 八ツ場ダム建設の是非も混乱させたあげく

「藤村修官房長官に判断を委ねたい」と丸投げ。

自公幹部は「前原氏と話をしても仕方がない」と口をそろえ、

輿石氏も周囲に「全体が見えないやつはダメだな」と漏らす。

党内調整も与野党協議も連敗続きでは「言うだけ番長」と言われても仕方がない。

 

■「雇われマダム」の悲哀−平野博文国対委員長

 

 「私は真面目で、謙虚で、乱暴なことはしない国対委員長として有名です。

そのために法案の成立率は低うございます…」

13日夜、平野博文国対委員長は民主党議員のパーティーで

自虐的なジョークを飛ばしたが、先の臨時国会の法案成立率34%は平成の

ワースト記録だっただけに笑うに笑えない。

 

 平野氏は「法案の数が多すぎて51日間の会期では間に合わなかった」と

釈明するが、要は国会対策のイロハも知らぬ素人さを自公国対に見抜かれ、

翻弄されたとしか言いようがない。

 

 同情するとすれば、党執行部で相対的地位が低く、

自ら国会運営の青写真を描く権限さえ持たないことだ。

野党国対委員長らと会談しても要求を輿石氏に伝えるだけ。

自らが約束しても後にしばしば覆されるだけに野党は「雇われマダム」と見下し、

腹を割って協議に応じようとしないのだ。公明国対幹部はこう哀れんだ。

 

 「平野氏は3党幹事長会談の中身も聞かされていない。

かわいそうな人だ…」

 

 

 

20111215

「小沢る」「菅る」「野田る」…どんな意味?

 

子供の目から見た歴代首相はどんな評価だろう?

以下に記してあるが、実に面白い。

素直な目で見たら真実が見えるという事か?

民主党の歴代首相や指導者の評価を私もしてみた。

小沢一郎氏は「寝業師・嘘つき」

鳩山由紀夫氏は「いいころかげん・無責任」

菅氏は「無能・粘り」

仙谷氏は「真の悪人」

前原氏は「騒ぐだけの口先男」

野田氏は「なにもしない風見鶏」

昔、風見鶏と揶揄された中曽根元首相でもやるべきことはちゃんとしたから、

今の評価があると思いますよ。

いずれにしてもいい表現が浮かばない。

「もう飽き飽きした」という言葉しか浮かばないのです。

こんな政治家が政権運営してきたのだから、国民は悲惨なのです。

政治とは「将来の夢を託すことなり」なのだから、

もう少し希望が持てる政治家が出てくることを期待します。

 

【政論】

2011.12.14 23:47 1/3ページ)

 政治への関心が薄いとされる今どきの若者だが、政治家を見る目は案外正確で

本質を射貫(いぬ)いているようだ。大修館書店が中学・高校生から募集した

「国語辞典に載せたい言葉」(応募総数8万4090語)から民主党政権に関する

新語を拾うと、あふれるユーモアの中に適量のスパイスがぴりりと効いている。

 

 例えば、小沢一郎民主党元代表を語源とする【小沢(おざわ)る】の意味は

(1)裏で牛耳る(2)子分をたくさんもつ(3)子分を見捨てて雲隠れする−とある。

都合が悪くなると側近や時の首相からの電話にも出なくなり、

行方をくらます小沢氏の性癖をよく見ているものだと感心する。

 

 また、鳩山由紀夫元首相からとった【鳩(はと)る】はとみると(1)

無責任なことを言う(2)話すたびに内容が変わる

(3)悪いと思わずにウソをつく−だそうだ。

 

 鳩山氏は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題をめぐり、

「最低でも県外」と無責任な発言をし、迷走の果てに元の名護市辺野古移設案へと戻り、

最近になって再び「辺野古以外」と言い出して全く悪びれない。

中高生にとって、こんな大人にはなりたくない反面教師役を務めているのではないか。

さらに、菅直人前首相に由来する【菅(かん)る】はというと(1)いつまでも

同じ地位に居座ろうとする(2)何もせずにダラダラしている

(3)無意味に粘る−とある。これも無為徒食で延命を自己目的化し、

見るべき成果のほとんどなかった菅政権の約1年2カ月のありようをよく喝破している。

 

 大修館書店によると、応募作品には特に菅氏に対してもっと

辛辣(しんらつ)なものもあった。その中で「平均的なものを紹介した」という。

確かに、【菅る】については(4)ペテンを恬(てん)として恥じない

(5)思いつきで大風呂敷を広げてほったらかす−などの語釈もあっていい。

 

 記者も中高生を見習い、仙谷由人政調会長代行をモデルに【仙谷(せんごく)る】

(言わずもがなの暴言で相手を挑発する。

法律用語を駆使しシロをクロといいくるめる)や、

前原誠司政調会長から連想した【前原(まえはら)る】

(口先で威勢よく言うだけ)などを考えてみた。

政治の惨状にはもう笑うしかない。

 

 もっとも、中高生の作品は応募期間が今年5月上旬〜9月下旬だったため、

現状とはそぐわなくなったものもある。

その代表が野田佳彦首相をもとにする

【野田(のだ)る】だろう。

その意味は(1)泥臭く頑張る(2)上手にスピーチする−とある。

だが、政権発足から100日余がたった現在、国民は首相にもっと厳しい視線を向けている。

 

 首相は、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)など重要政策について、

積極的に発信して自ら国民に説明することは避け続けた。

民主党の選挙公約だった公務員給与引き下げも国会議員定数の削減も実施せず、

経済成長戦略もあいまいなまま。それでいて消費税率アップなど国民に

負担を強いることばかりに熱心だ。

 

 「党内融和が第一」とばかりに起用した小沢氏に近い一川保夫防衛相と

山岡賢次国家公安委員長は参院で問責決議を受けた。それでも首相は

適材適所と強弁を繰り返す。当然、内閣支持率も急落している。

来年の「国語辞典に載せたい言葉」では【野田る】はどんな意味となるだろうか。

 

 「目先だけごまかして状況が一向によくならないこと」

「官僚に取り込まれてしまうこと」「よく通る声で中身のないスピーチをすること」…。

記者のブログには、【野田る】の新解釈について早くもこんな声が寄せられている。

 

 辞を低くしてやり過ごそうとしても、国民の目は欺けない。(阿比留瑠比)

 

 

 

20111214

「大阪」と「TPP」を結ぶ点と線

 

日本が曲がり角に来ていることは誰でも知っている。

自民党政権の生きづまりを解消するために民主党政権を選択したことでもわかる。

しかし期待に反して、自民党政権以上にダメな政権であったので、失望しているのである。

それならどうすればいいのか?

この閉塞感から大阪の市長・府知事ダブル選挙で、大阪市民が解決法を見つけたのです。

すなわち既成政党を破壊し、新しい保守政党を作る必要があると言っているのです。

その表れが平成維新の会なのです。

明治政府を作った、明治維新になぞらえて命名したのであろう。

平成維新の会が目指す政治が今からの主流となるでしょう。

既成政党はその体質を変えなければ生き残れないでしょう。

特に次の総選挙では民主党は全滅に近く減少するはずです。

労組の応援で50人ぐらいは残るかもしれないが、それも怪しいのです。

とすれば、自民党が圧勝するかと言えばそれも少し怪しい。

今の議席を大幅に増やすであろうが、過半数を取れる見込みはない。

後のほとんどをどこがとるかと言えば、平成維新の会と手を組んだところであろう。

平成維新の会と自民党と公明党で政権運営するであろう。

これが、私が来年夢見る予想図なのです。

来年は確実に総選挙があるはずです。面白くなりそうだ。

【正論】拓殖大学大学院教授・遠藤浩一 「大阪」と「TPP」を結ぶ点と線

 

【正論】

拓殖大学大学院教授・遠藤浩一 

2011.12.14 02:58 [正論]

 

 選挙必勝の鉄則は、争点を設定することである。

自分の土俵に相手をのせてしまえば、その時点で勝負はついたも同然だ。

平成17年には小泉純一郎氏が「郵政民営化」、同21年には民主党が

「政権交代」という争点をそれぞれ先に設定して勝っている。

今回の大阪ダブル選挙でも、橋下徹前府知事および「大阪維新の会」が、

いわゆる「大阪都構想」(二重行政の是正)をいち早く争点として

打ち出して圧勝したように見える。

 

 ≪政治・行政秩序にダメ出し≫

 

 敗れた反“ハシスト”派は橋下氏の独裁的な手法、

あるいは同氏の指導者としての資質(危うさ)に争点を置き換えようとしたが、

これは裏目に出た。

大阪の有権者は凡庸な現職より多少やんちゃでも何かやってくれそうな

前府知事およびその一派を選んだ。“指導者の資質”という争点も、

橋下氏一統はいつの間にか自らの側に引き寄せてしまったわけである。

 

 さらに、そこに、既成大政党に対する信任・不信任という争点も加わった。

国政における与党の民主党も最大野党の自民党も、

反維新にまわったが、大政党による包囲網の中で孤立奮闘する

「大阪維新の会」という構図が出来上がったとき、橋下氏は、ほくそ笑んだことだろう。

 

 今回の選挙では、“大阪都”や“ハシズム”の是非以上に、

この争点が最も重い意味を持っていたように思われる。端的に言うならば、

橋下氏の政策や指導者としての資質が評価されたというより、

決断できない相乗り首長、機能不全の政党、さらに既得権益擁護に汲々と

する労組なども含め、既成の政治・行政の秩序がもはや評価に値しなくなったと

判断されたのである。

 

 ≪国際規範作りでも不適格露呈≫

 

 もっとも、これは今回突如、持ち上がった問題ではない。

今世紀に入って以降の選挙においては、既成政党および彼らが

形成する秩序、あるいは彼らの統治能力に対する不信が、常に、

最大の争点であり続けた。6年前の小泉氏も2年前の民主党も、

既成政党への不信と既成秩序の破壊という争点を打ち出して勝っている。

 

 今回の選挙で特徴的なのは、2年前に“旧体制”の打破を訴えた民主党が

“旧体制”の側に位置することを自ら明らかにしてしまったことだろう。

体制破壊を訴え、未知への期待を集めて政権を獲得した民主党は、

統治者としての適格性の欠如を露呈し、有権者から拒否されるに至った。

 

 さて、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉への参加の是非について、

侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が交わされているそのときに、

大阪で首長選挙が行われ、大政党への不信という民意が示されたことは決して

偶然ではないと思う。

 

 経済連携に関する新たな国際ルールづくりの交渉に参加するかしないかで

国論が二分されるような事態は、不毛である。国家たるもの、

国際ルールをつくる側にまわることによって国益を確保しようとするのが

当然だからである。

 

 「戦後体制」とは勝者がつくったルールに敗者が

組み込まれて出来上がったものにほかならない。

他者がつくった土俵にのれば、当然不利な勝負を強いられることになるわけだが、

戦後のわが国は、それでも歯を食いしばって高度成長を達成した。

 

 そんな日本にとって、国際ルールづくりに自ら参加することは

戦後体制から脱却する上でも本来好ましいことである筈(はず)なのだが、

交渉の場に臨むことそれ自体が議論の対象となり、

とりわけ日頃保守的な言動をしている人たちが口をきわめてこれを否定している。

 

 ≪「脱戦後」へハードル越える時≫

 

 それは、(1)ルールづくりといっても米国がつくった土俵に

のせられるだけではないか(2)そもそも野田佳彦民主党政権に熾烈

(しれつ)な外交交渉を展開する当事者としての能力と

適格性があるのか−という疑念が拭えないからだろう。とはいえ、

米国が想定しているとされる一方的なルール(案)を修正するには、

交渉に臨むしかないわけだから、結局、これは二番目、

すなわち民主党政権の能力と適格性という問題に帰着する。

 

 では、自民党なら大丈夫かといえば、これも首をかしげざるを得ない。

「我が党の政権ならばこういう姿勢で交渉に臨む」という展望を示す

以前の段階で議論を集約し得ていない。自民党政権時代に京都議定書という

国際ルールづくりに参加し、自ら不利なルールを策定してしまったという

“前科”もある。

 

 米国案を丸呑(の)みするしかないというのも、

土俵づくりに加わるなというのも、ともに敗北主義であり、

戦後コンプレックスの変奏でしかない。わが国は、TPPのみならず、

今後もさまざまな国際規範づくりに直面することになるだろうが、

それは脱戦後のために飛び越えねばならぬハードルである。

そこでしたたかな交渉を展開し果実をもぎ取っていく能力と資格を持った、

本格的な政権を形成することこそが喫緊の課題であると、

大阪の選挙結果は暗示しているのではないか。(えんどう こういち)

 

 

 

20111206

やりすぎると破綻する

過ぎたるは及ばざるがごとし″

古来言われてきたことであるが、いつの世に中になっても同じようだ。

政治の世界では良く使われるようだが、政治に限ったことではない。

処世術として身につけなければならい事の一つなのです。

しかしそれが中々難しいのです。

分かっているがやめられない!

とういうのが正直なところでしょう。

国家公安委員長しかり防衛大臣しかり、首相しかりなのです。

そのうちに薄っぺらな化けの皮がはがれるのです。

この政権はあと半年の命でしょう。

さてその先には総選挙が待っています。待ちに待った総選挙です。

今度こそはマスコミの挑発には乗らないでしょう。

今度こそは騙されないでしょう。今度こそは賢い選択をするでしょう。

国民は満を持して選挙に行くでしょう。

大阪市長選を見てください。マスコミの執ような橋下中傷の嵐にもめげず、

戦いとおした精神力のおかげで晴れて市長になりました。

当選の暁には、手のひらを返し何もなかったかのごとく振る舞うマスコミの

汚さが分かったことでしょう。

この国の異常さが解ります。なんでもありの世の中で、勝てば官軍なのです。

すなわち負ければ賊軍なのです。

怖いのは分かっているが、なにもできない民主党政権とおさらばできることは

うれしい限りです。

左翼団体よ、TV、新聞よ、あなた方の謳歌している左翼政権は風前のともし火です。

次は消えてなくなるのです。

 

 

 

野田佳彦首相は、「TPP」「消費税増税」と、やりすぎると破綻する

板垣英憲

◆野田佳彦首相の「ダマシ」の政治手法が、馬脚を現し始めた。最近では、

「熟議」という言葉が、消え去り、「ていねいに」とは、鼻につき、

イヤーな気分が充満している。とくに「ていねいに」とき、正確に言えば

「ていねいにウソをつく」という意味だということが、バレバレになってきたからである。

 

 その代表格が枝野幸男経産相だ。野田佳彦首相の場合は、

もっと狡猾で手が込んでいて、ウッカリするとダマされていることすら気づかない。

 

 だが、「TPP交渉参加→消費税増税→沖縄米軍飛行場の辺野古への移設」

というハードルを眼前にすると、俄然、この狡猾さが、「能力全開」となる。

 

 自民党の野中広務元幹事長が、「時事放談」(124日放送)で、

野田佳彦首相を絶賛していたけれど、「まず結果を決めていて、

そこへ引っ張っていく」という政治手法だ。

 

 ◆たとえば「TPP交渉参加」については、腹の中では「参加」を決断している。

ところが、民主党内世論や国民世論の動向を見ながら

「関係国と協議→交渉参加を決める→参加を閣議決定→条約締結→国会批准」

というプロセスに誘導していく。

 

 「消費税増税」については、8月末の民主党代表選挙で「増税」を

打ち出しているので、「前言撤回」というわけにはい。

財務省がバックからにらんでいることから「後退」はできない。

 

 そこで「消費税増税素案→与野党協議→法案を閣議決定(実施時期について

『景気好転』→国会上程→可決成立)という条件を付則に書き込む→

実施タイミングを計る」という段取りを設定して、やはり、民主党内の

意見を統一するとともに国民世論を誘導する。「結論部分」をあいまいに見せておき、

「熟議」を図るように見せかけて、みんなをドツボにはめてしまう。

これが「どじょう式」なのだ。

 

 ◆ところが、この狡猾さの底が割れてきている。というよりも、

内閣記者会の首相番記者による「ブラ下がり取材」を拒否してきたのが、

大きなマイナス材料となり、「首相は一体何を考えているのか分からない」

という冷たい空気のなかで、「憶測」「疑心暗鬼」などが錯綜の渦を巻き起こして、

民主党内世論や国民世論を「反TPP」「反消費税増税」へと逆走させる現象が起きている。

 

 それが、毎日新聞の125日付朝刊、共同通信の同日付「世論調査結果」に

如実に表れているのだ。

 

 毎日新聞の野田佳彦内閣支持率は、38%(前回11月調査より4ポイント減)

不支持率34%(3ポイント増)と、内閣誕生わずか3カ月で「30%台」に下落し、

消費税増税「反対」(54%)「賛成」45%と評判が悪い。

 

 共同通信の方は、内閣支持率44.6%(前回11月調査より2.5ポイント減)

不支持率40.3%(6ポイント増)、法案成立前に「衆院解散実施」を50.7%が、

「増税実施の前」の25.1%を大きく上回っている。いずれにしても、

鳩山由紀夫元首相、菅直人前首相のときより急落のピッチは極めて速い。

 

 これに「普天間問題」が加われば、奈落の底へと落とされるのは間違いない。

 

 小沢一郎元代表が、憂慮しているのは、せっかくの政権交代が台無しに

なってしまうことだ。野中広務元幹事長は、小沢一郎元代表を「政局屋」と

口をきわめて罵倒していたが、政権を失っては、理想や政策を実現することはできない。

 

 「子 曰く過ぎたるは

 

 猶お及ばざるが如し」

 

 

 

2011125

石原慎太郎 異端な存在の意味

 

【日本よ】

石原慎太郎がもう10歳若かったら彼は国政で首相になっていただろう。

そして日本を新しい国に作り上げていていただろう。

惜しい人材だ。

他に日本を牛耳ることができるのは誰だろう?

大阪市長へ当選した維新の会の橋本氏もその一人になりうる。

彼が大阪市を2年間で作り変えることができたら、国政に出て首相を

目指してもらいたいものだ。

国の指導者として注目している。

後は似たり拠ったりだが、次の指導者が出てくることを期待している。

少なくとも民主党から出ることはまずない。それは民主党が一番輝いているのは、

野党として野次を飛ばしている時だから、国の中心で舵を任せられると、

どちらに向かって行ったらよいのか分からない連中ばかりで烏合の衆と化すからです。

 

 

 つい先月私たちは、極めて異端な存在感を持つ二人の日本人の逝去と誕生を見た。

 

 一人は天才?ともいわれた傍若無人な落語家立川談志、もう一人は、

今もっとも危険な政治家ともいわれている前大阪府知事そして新大阪市長の橋下徹だ。

 

 談志についてはいろいろな人が、この今になれば天才、名人として称(たた)え

その死を惜しんでいるが、生前彼ほど誤解と顰蹙(ひんしゅく)を買った男もいまい。

その訳は社会の常識からすれば極めて当然のものでもあった。世間の顰蹙の理由には、

話の調子に乗り過ぎての余計なお喋(しゃべ)りへの反発、

例えば「緑の小母(おば)さんには美人はいない」などと、

いわずもがなのものもあったが、他の大方は世間体を踏まえた馴(な)れ合いの

美徳への皮肉であって、「落語とは人間の業の肯定だ」と断じていた彼からすれば、

当然のことだった。

 

 この私は彼とある共通項をかまえた今思えばかなり奇妙な友達だった。

会う度に憎まれ口を交わし反発し合い、それが互いの活力となって無言の友情を

育む間柄だ。勝手な時に電話してきたり、現れたり、特に体を壊してからは

「あんたに石炭を焚(た)かれると妙に元気が出るからな」と対談の企画を持ち込んで

悪口のいい合いだった。

そんな彼が声の出ぬ半ばの骸(むくろ)になってから私だけが最後の

会話を交わしたのだ。家で死にたいという彼の言葉を受け病院から家に

戻っての三日目に敢(あ)えて電話をし、私が一方的に話すからと秘書に

受話器を彼の耳元に近付けさせ、私一人が喋った。それもいつもの調子で、

「やい談志、お前もいよいよくたばりそうだな。言い返そうとしてももう駄目だろう。

しかしそれが君らしい天命なんだぞ。死んだ後も喋りたいお前に、天が、もういい、

今からもう何も話さずにゆっくり休めといってくれてるんだよ−」と

こちらからただただ一方的な会話だったが、次第に彼がそれに答えるぜいぜいとした

荒い息づかいが伝わってきた。そして私はその言葉にならぬ彼の声の意味を全て理解し

聞き取っていたと思う。

あれは無頼な名人の談志の最後の告白であり捨て台詞(ぜりふ)だったと思う。

 

 晩年彼はよく、「古典古典というがね、古典をやってると俺の話の中で主人公が勝手に

動きだしてもう俺のいう事をきかなくなっちまうんだよ。

『芝浜』の落ちでもそうだ、もう酒は飲まねえじゃなしに、

よしそれなら一本つけろってね」

 

 彼はそれをイリュージョンだなどといったが、彼の反逆のエネルギーの昇華に

他なるまい。古典落語などというものは、歌舞伎と同様完成されつくした様式だから

誰がやってもほどほどのものには聞こえるに違いないしかし彼ほどの者になるとそれが

我慢ならなかったのだろう。

 

                   ◇

 

 既存の規格、既存の慣習に埋没していればことは安易に運ばれようが、

実は損なわれ失われるものも多大なのだ。それを如実に証すものが政治であり行政だ。

国家の官僚たちが自負する彼らの美徳、継続性と一貫性なるものが保持されれば

時代の変化に対応できる訳がない。戦後の日本を支えてきた者も官僚なら、

それを駄目にしたのも継続性に溺れた官僚なのだ。

 

 それを露骨に証したのが、かつては東京をも凌(しの)いだ日本の大都市大阪の著しい

衰退ではないか。

地方官僚の巣窟の組合のエゴがあの大阪を食い物にしてのさばってきた杜撰

(ずさん)な行政が定着してしまった結果、市民の十八人に一人が生活保護を

受けているといった奇体な現実が到来してしまったのだ。

これは悪しき行政のもたらしたイリュージョンに近い、

実はまざまざとした悪しき現実なのだ。組合のエゴと、

保身のためにそれに媚(こ)びた政治家たちの所行が大阪を滅亡に

導き国家の活力をさえ奪ってきたのだった。それに異議を唱え、

既存の行政のシステムに反発して立ち上がったのが橋下徹だった。

彼の言葉にはいささか未熟な部分もあって、「大阪都」とか「政治は独裁」などという

表現は誤解の種だが、大阪が大大阪として復活し、

行政が継続性に溺れている官僚の手からもぎ取られ、新しい発想力を持った指導者による

トップダウンで行われなければ行政はいたずらな堂々巡りで

市民国民の被害は増すばかりだ。

 

 人間というのは本質的に保守的なもので、特に個人の強い自我が形成されてはいない

この国ではルーティン化した行政の被害者たる市民、

国民はそのラディカルな変革を望みたがらぬが、しかし来るところまで来れば不満は

爆発しよう。

 

 今回の選挙で大阪の市民が示した選択もその表示だし、

実は今は亡き立川談志の芸とその生き様に国民が寄せた賛辞も同質のものだ。

 

 異端に近い、しかし強い存在感を持つ人間の主張にある時点で多くの人々が

共感を示すのは実は時代の転換の必然性を暗示している。

私自身それを体験してきた。戦後擡頭(たいとう)してきた新しい世代の芸術は

結果としてそれを忌避しようとした古い世代を凌ぎ、「怒れる若者たち」の

新しい情念を代表して定着していった。歴史はそうした事例に充ち満ちている。

立川談志は限られた世界ではあってもそれを証して死んだし、

橋下徹はやがてそれを証すだろう。歴史のその原理を信じることなくして、

新しく良き変化にどうして期待出来ようか。横並びの類型人間の多い日本の社会で、

彼ら二人の存在の意味はそこにある。

 

 

 

 

 

 

2011123

中華経済圏を阻止する

 

国を危うくするやからは多い。

目立ちたいのか、人と違ったことがしたいのか、論理はどうでもいいのか、

自分勝手なのか、自分の主義主張が一番すぐれているとでも思っているのか、

変な人が多いこの頃です。しかしどんな世の中になろうと、

結果責任は取らなければならないのだが、それは嫌だという方が多いですね。

民主党の政権になってその傾向が顕著になった。

それは大臣や首相が平気でうそをつくし、責任逃れはするし、

何も決められなくて先延ばしするし、此れが責任ある政党がすることだろうかと、

呆れているのです。

 

【くにのあとさき】

東京特派員・湯浅博 

 なぜ戦争が起こるのか。そこに軍隊があるからだ。

かつて「70年安保」の騒動があった時代に、過激派学生が叫んでいた論理である。

幼さが残る左翼原理主義で、まるで軍をなくせば戦争が起こらないとでも

いいたげであった。

 

 では交通事故はなぜ起こる? そこに凶器のクルマがあるからか。

米国はなぜ環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)を推進するのだろうか。

それは米国だけが得するからか。

 

 すると、軍もクルマも米国も、とたんに正義の鉄槌(てっつい)を

下すべき標的になってくる。

こうしてTPPはめでたく「日本市場を狙う米国の陰謀」ということに落ち着いていく。

 

 TPP論議を聞いていると、日本経済がまだ元気だったころの日米構造協議の

トラウマを感じる。あの当時、国内総生産(GDP)で世界1位の米国から、

急追する2位の日本が、黒字減らしのために内需拡大と規制緩和をのまされた。

 

 だが、いまの日本にそんな経済力はないし、実は米国議会の族議員も

「例外をつくれ」とうるさい。

多数派工作もあるから多国間の交渉はまだ2、3年はかかるだろう。

 

 いまのTPPに既視感があるのは、むしろ多角的貿易交渉の

ウルグアイ・ラウンドさなかの1989年、「貿易自由化」

を掲げたアジア太平洋経済協力会議(APEC)を創設したときだ。

今回は、暗礁に乗り上げた新貿易交渉のドーハ・ラウンドに米国が嫌気して、

中国抜きのTPPにシフトした。

 

 あのドーハ・ラウンドをつぶした張本人が中国だからである。

ラウンド交渉では、巨大市場の中国とインドが門戸開放に横を向き、

他方で中国は、米国をはずした「ASEAN(東南アジア諸国連合)+日中韓」の

貿易圏構想にこだわる。

 

 リーマン・ショック前の中国は、「国際秩序にいかに適応するか」だったが、

米国の衰退を感じ取ったいまは、中国が「どう国際秩序を変えさせるか」に変わった。

同志社大学の浅野亮教授によれば、多国間メカニズムの乱立は「力の移行期」に

特有の現象であるという。

 

 しかし、アジアが巨大な中国経済圏に取り込まれれば、

小国の集まりであるASEANはひとたまりもない。

GDPで中国に抜かれて3位になった日本も、軍事力を背景とした

巨大市場の前に発言力を失う。だからこそ日本は、

東アジア首脳会議にオーストラリアやインドなど“対中うるさ型”を

入れることに腐心してきたのだ。

そして、米国がこのTPPの推進にカジを切った。

もちろん中国の加入には門戸を開く。

 

 新しい多国間交渉のときはいつも、「コメを守れ」という反対論から政局になる。

日本国内でTPP反対の大合唱が起きれば、

ほくそ笑むのは当の中国である。日本をTPPつぶしの矢面に立たせ、

「ASEAN+3」の中華経済圏に誘導すれば対中批判は少なくてすむ。

 

 南シナ海沿岸国が不安に駆られるのは、「中国の台頭」がもたらす不安定性である。

中国の軍事力行使の敷居が低い以上、「アジア回帰」を誓約した米国をタテに、

アジアが統一戦線を組むしかない。

 

 中国の軍事的台頭には軍事バランスをはかり、中国の経済的台頭にはTPPで

門戸開放をはかる。

冒頭の同義反復をすれば、なぜTPPを推進するのだろうか。

それは中国だけが得する中華経済圏を阻止するためである。

 

 

それは反米の一点です」と明言した。反米のイデオロギー、

反米、嫌米感情とTPP反対論は峻別しなければならない。

 

 いわゆる西側の穏健な対中政策は毛沢東以来の中国保守派によって、

「和平演変」だと反発を受けた。平和的に体制の転覆を企てる陰謀だと

いうのである。

ニクソン大統領以来、米政府が対中政策の基本に据えてきたエンゲージメント

(関与)政策も国際社会のあらゆる面における中国の参入を求めてきたから、

「和平演変」と考えてよかろう。しかし、改革開放によって豊かになった中国にとり、

この言葉は死語になったはずだ。中国をあらゆる面で国際的常識に

従わせるエンゲージメント政策の一環としてTPPを考えれば、

「米国と組み過ぎ」という発想にはならないはずである。(たくぼ ただえ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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