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2010年12月 30日 左翼お花畑はこの国を潰す気か! いよいよ年末も押し詰まってきたが、このコーナーも今年は今日で年納めです。 私の尊敬する櫻井よし子氏に登場して頂いて、終わりたいと思います。 来年も張り切って面白い情報をピックアップしていきたいと思いますので、 よろしくお願いします。 宮根誠司氏、櫻井よしこさんの対談を掲載します。面白いので読んでください。 http://omoixtukiritekitou.blog79.fc2.com/ 宮根氏 「ちょっとこちらの地図を御覧頂きたいんですが えーこちらに日本列島がありまして朝鮮半島、中国なんですが この地図を逆さまにしてみます。」 「逆さまにしてみますと・・・ 中国大陸がありまして、その上に日本列島があって 確かに中国側から日本列島を見ると、太平洋に出ていくのに 日本列島ってのは邪魔だなあ・・という感じがしないでもありません。」 「そしてご覧下さい え・・もう近年になって尖閣諸島沖の・・ね、衝突事件 それから様々なところで中国の船というのは目撃されているということ なんですが櫻井さんやっぱり今年・・・」 櫻井さん 「はい宮根さん」 宮根氏 「はい、今年・・ありがとうございます あの・・振り返ってね、日本というのがその国防も含め領土というのを どう守っていくのかって本当に考えさせられた一年だったと 思うんですけれども。」 櫻井さん 「あの・・これ・・領土を守る、領海を守るにはどうしたらいいかと いうことでね、個々の問題を見るよりもまず私たち まあこれ石破さんが一番得意なとこですけどもね大きなその戦略図を 見ないといけないと思うんです。 例えばあそこの図でですね、私たちは中国と日本と台湾くらいしか 見ていませんけれども。 今、世界は21世紀の争いの海は、私たちがいるこの太平洋の半分、西太平洋と それからこの太平洋につながるインド洋、この2つの海が 21世紀の人類の争いの海になると言われてるんですね。 そこで中国が台頭して、そしてアフガニスタンからアメリカが引いて、 アフガニスタンのテロリストがパキスタンにも力を及ぼして インドとパキスタンの力がまた緊張になって、そこにイランが入ってくる アメリカがここにどういうふうに関与するのか、ロシアはどういうふうに 関与するのか
そして2012年にはですね、アメリカの大統領も変わる、 ロシアも変わる、中国も変わる、韓国も変わる みんな変わるんです、台湾も そうしましたらね、それぞれの政権がどっちかというと国民に アピールするために対外強攻策内向きになりがちなんですね。 そうした時にこの争いの海の危険というのはもっと・・あの危険な分意を、 あの要素が増えてくるわけです そうした時に我が国をどうやって守るのかというところにいくわけですね。 自分の力を強くしなければいかにアメリカとの連携を やっても他の国との連携をやってもいろんな危険分子が 起きてくるいうことになると思いますよ。」 宮根氏 「集団的自衛権と言いますけど、日本の所謂自衛権をもっと強くするということですか?」 櫻井さん 「あのね、集団的自衛権というのはこれ、あの一緒にお仲間になって、 あの日本に危害が及ぶような時は事前にちゃんと やりましょうということなんですが その場合さえも日本の防衛省・・というのは本当の意味での 軍隊ではないんですね 憲法で制約されていて、自衛隊法で制約されていてだから その海賊退治の時にも特別の法律を作らないと普通の軍隊として 民間の船を守ることが出来ないような状況になっている だから宮根さんという立派な人がいてもこの人の手と足を縛ってしまえば 何も力が発揮できないのと同じ事が自衛隊に起きてるんですよ。」 宮根氏 「うーーーん」 櫻井さん 「ですからそこのところの法律の空洞をまず直していくこと 憲法の空洞を直していくこと それと同時にもう一つは非常に重要なんですけども 今回予算が組まれましたね、そこでやっぱり民主党というのは、 これ自民党も大いに責任があるんですけども 防衛費をずーーっと8年間減らしてきて 中国は防衛費をずーーっと2桁で伸ばしてきて その脅威をみんな感じるもんですからその周辺の国々みんな防衛力を 増強してきたのに我が国たった一国減らしてるんです で、民主党がそれを本当は減らすのを止めなきゃいけなかったのに、 一律全部カットするっていうと 子供手当に2兆何千億もばら撒いておきながらほんのわずかの防衛費の 増額も出来ていないと言うのが問題ですね。」 宮根氏 「これ、今・・今ね、櫻井さんの仰った憲法の空洞って何ですか?」 櫻井さん 「憲法9条がありますね、平和・・あのいわゆる平和条項と言われる あの憲法9条の性格というのは憲法の前文に 『平和を愛する諸国の、公正と信義に信頼して我が国の安全と 生存を担保すると決意した』 と、まちょっと多少の文言違うかもしれませんがそういうこと言ってるんですね 今、中国を見てみましょう、平和を愛する諸国の内の一つなのか? 北朝鮮もそうなのか? ロシアもそうなのか? そうであるならねえ、こんなね中国による南シナ海の問題とか、 台湾の問題とか起きていないはずですよね?」
2010年12月29日 民主党の体たらく 民主党政権が機能不全となり、首相を取り換えても何も出来ない政治を 続けています。 国民の期待は完全に敗れ、どう取りつくろうとも、政権末期の状態なのです。 どんなに政権にしがみ付こうとしても、日々起こる内政外交問題を 対処出来ないのだから、総辞職する以外にはないと思います。 きっぱり国会を解散して後は国民の審判に任せる方が賢明な選択と思います。 それをしようとしない所が民主党的というか、 左翼政権の「民主」とは名ばかりで「自主」の政党で、 自分たちの事しか考えていない政党だから、だれも反省していないのです。 国民の事等、どうでもいいのです。 中国共産党的体質なのです。 これを左翼政党と言います。 民主党は左翼政党なのです。 国民は目覚めなければならない! 国民は我が国を再生させなければならない。 国民は将来の日本に対して責任があるのです。 以下、加地氏の論文を掲載しましたので読んでください。 【正論】立命館大学教授 大阪大学名誉教授 加地伸行 ■民主党は「民の主人」になったか ◆語るに落ちた仙谷官房長官 「暴力装置でもある自衛隊」と仙谷由人官房長官が18日の 参院予算委員会において発言した。「国家の暴力装置」というこの言葉、 四十数年前の大学紛争のころ、全共闘系学生集団いわゆる新左翼が警察、 特に機動隊を指していつも使っていた。 この発言により、仙谷某が新左翼思想の持ち主であることを自ら示した。 こういうのを「語るに落ちる」と言う。 当時、新左翼は本気で、かつ無邪気に暴力革命によって政権を 手に入れようとした。だから、敵対者となる警察や自衛隊を、 彼らにとって「国家の暴力装置」と位置付けたのは当然であった。 しかし、もし自分たちが社会主義革命に成功して政権を得たとしたならば、 今度は立場を替えて、警察・自衛隊を自分たちを守る暴力装置として使い、 政権を批判する自由な発言を許さず、弾圧するわけである。 その前例こそ、旧ソ連のスターリン政権であり、中国の毛沢東政権であった。 仙谷発言は決して一時的な不用意発言ではなく、本音なのである。 すなわち、〈民主党政権を批判・非難する者は、軍や警察によって鎮圧する〉 という心底を洩らしたまでである。 事実、北沢俊美防衛相は、民主党政権を批判した民間人挨拶をきっかけに、 防衛省幹部を集めた会議を開き、施設内における政権批判を許さぬと 決定をし、次官通達として公的化したのである。 それならば、あえて言おう。 その事件が起こった埼玉県の航空自衛隊基地の近くに、 人事院の公務員研修所がある。 そこの講師として、この10年近く、毎年1回、私は出講してきた。 対象は中央省庁の課長級であり、まさに、 我(わ)が国を背負って立つ人材群である。 ◆左翼的政党による大誤解 その講義の際、私は自民党であれ民主党であれ、批判すべきものは批判した。 のみならず、選挙による議員という民選政治家と、 国家試験合格による官僚という“国選政治家”とは、 上下の関係ではなくて対等の関係であると論じてきた。 これは私の持論であり、議員らによる政治主導なるものへの 真っ向からの批判である。 それを公務員研修所という公的施設内で毎年、論じてきたのである。 そういう私をどうするのか。 北沢流ならば、来年度の講師依頼をしてはならぬと人事院に対して、 内閣は圧力をかけるべきである。 さらには、官公庁の施設内においては、表現・思想の自由は許さぬという 次官通達を全省庁において発すべきである。 また、それと連動して、全国官公庁にある膨大な数の掲示板に 貼(は)り出されている、労働組合の極めて政治的な諸反対声明文も 許してはならない。 そもそも民主党は民主主義を誤解している。 欧米の思想である民主主義は、自立した個人を前提にした 〈民が主〉人ということだ。 民は、それを選挙という方法によって表現する。 しかし、東北アジアでは、自立した個人という思想・実践は なかなか根付かない。 そのため、投票という手段だけがクローズアップされる。 個人主義という前提は問わず、形式・手段だけが目的化され、 投票数の多さを競うのみとなる。 故田中角栄氏やその流れの小沢一郎氏らがその典型だ。 だから、選挙が終わると、民はお払い箱となり、 単なる愚昧(ぐまい)な存在としか見なさない。 民主党がそれであり、民が民主党を批判することなどもっての外で許さない。 新左翼も、もし政権を握っていれば、そうなっていたであろう。 つまり、〈民が主〉人ではなく、己れが〈民の主〉人と化す。 これが、左翼的民主党の民主主義理解であり、大誤解なのである。 ◆「批判は先生」と古代の宰相 東北アジアでは、もともと「民主」という語は「民の主」 すなわち君主のこと。 また、明治維新前後、選挙で政権担当者が交代するデモクラシーという語の 中身がよく分からず、「下克上」とも訳した。 自立する個人という生き方、そうした文化なき東北アジアにおいて、 これは名訳である。 それなら、一知半解の欧米思想に頼るよりも、政治の知恵の宝庫である 儒教古典に範を求める方がまだましではなかろうか。 中国は古代、子産という名宰相がいて、善政の名声が高かった。 しかし、世の中は全員が満足するわけではない。 村里の学校(郷校)に人々が集まり、あれこれ子産の政策の悪口を 言っていた。 そこで、部下が子産に「学校をつぶしましょう」と言ったところ、 子産は「人々の批判は私にとって先生である(吾(わ)が師なり)」として、 廃校を許さなかった(『春秋左氏伝』襄公(じょうこう)三一年)。 子産を尊敬していた孔子も同じ心構えであった。 批判者に対し、こう述べている。 私は幸せである。 私に「荀(も)し過ち有れば、人 必ずこれを知る(批判してくれる)」 (『論語』述而篇)と。 政治家にとって最も大切な心構えは、己れへの批判を感謝して 受け止め生かす謙虚さである。 それの方が形式的民主主義による多数決よりも価値が高いのである。 (かじ のぶゆき)
2010年12月 28日 同盟弱体化 1 菅政権は政権延命になりふり構わない政策を続けている。 この事は政府益を守るため国益を後回しにしているのだ。 こんな政権見たこともないですね! 国益を守るのが託された政権の務めなのを忘れているみたいなのです。 民主党政権はどうも党益優先する政党の様で、国民の事が一番大事と 宣伝する割には反対の事をしているようです。 左翼政権は「国民は大事」と言うが自分の事が一番大事なのは世界中 どこでも同じみたいですね。 左翼政権に任せたのが悔やまれるのですが、何せ今頃泣き言を言っても 後の祭りなのです。 国民が騙されたのです。 一日も早くこの政権を打倒することが必要になりました。 今度の統一地方選挙で弾みを付けて一気に解散へ持っていき、 総選挙をする事が必要です。 「中国刺激する演習控えろ」 沖縄南東沖にある在日米軍の訓練区域。12月3〜10日の 日米共同統合演習「キーンソード(鋭い剣)」期間中、 日本側が公表していない訓練が行われた。 訓練水域には米海軍強襲揚陸艦エセックスを中心とした第7遠征打撃群 (エスペディショナリー・ストライク・グループ=ESG)が集結した。 「演習目的は島嶼防衛・奪還作戦での『戦い方』を検証することだった」 防衛省幹部は明かす。むろん中国を念頭に置いた作戦だ。島嶼部を守る上でも、 装備を近代化させる中国の海・空軍戦力と対峙する必要があり、 演習でもそこに主眼が置かれた。 ESGは通常、上陸部隊の先兵となる海兵隊を運ぶ揚陸艦3隻と護衛する 水上艦艇3隻、攻撃型原潜1隻で構成する。2003年に始まった 新しい水陸両用作戦の艦隊編成だ。 佐世保基地(長崎県)が母港のエセックスには、同じ佐世保に司令部を置く 海上自衛隊の第2護衛隊の隊員13人が連絡調整員として乗り込んでいた。 海自は揚陸艦のガード役として同隊の4隻の護衛艦を投入した。 日本は訓練の枢要な一角を占めていたのだ。 実弾射撃を含むシナリオが進展するたび、連絡調整員は米側と連携を 確認し合った。米海軍幹部は「文字どおり肩を並べて取り組んだ」と 満足げな表情を浮かべた。 自衛隊幹部も「米海軍はESGの一部に海自を組み込んだ運用を見据えている」 と呼応した。 中国軍の太平洋への「玄関口」となる沖縄周辺海域に日米の戦力を 結集させることで、米側には「中国抑止」に向け強い意志を内外に 示す狙いがあった。だが日本側は中国を刺激するのを避けるため、 演習内容の公表を控えたとみられる。
同じころ、大分県の日出生台(ひじゅうだい)演習場では、陸上自衛隊で 島嶼防衛を主な任務とする「西部方面普通科連隊」が実動演習を行っていた。 防衛省は演習目的を「一般的な防御訓練」と説明した。 本来は島嶼防衛訓練を行う予定だったが、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件を 受けた10月、防衛省政務三役の次の一声で、演習内容は変更されたのだった。 「中国を刺激するような演習は控えろ」 キーンソードで日米共同対処能力を高め、西方普通科連隊の演習では 日本独自でも領土を守る意思と能力を鮮明にする−。透けてみえる 当初構想は、日米安保条約改定50周年を迎えた今年の締めくくりに ふさわしいものだった。 ゆがんだ政治主導で後者が抜け落ちた。日本自身が領土を守る気構えが 求められるが、民主党政権にはその意識が欠落していることを 象徴している。 17日に発表された新たな「防衛計画の大綱」は不安定な東アジアの 安全保障環境を反映し、「日米同盟は必要不可欠」と位置づけたが、 米軍普天間飛行場移設問題、米軍との協力強化などの課題は先送りされた。 来年に向けた動きを追った。 「それは本当に必要なのか? なぜ今、やらないといけないんだ」 12月上旬、首相、菅直人が発した一言に外務、防衛両省幹部は思わず 宙を見上げた。 新たな「防衛計画の大綱」の策定に向け、武器輸出三原則見直しの調整を ほぼ終えていたが、菅による土壇場の「政治決断」でひっくり返されたためだ。 防衛相、北沢俊美は折に触れ三原則見直しを訴え、今年10月には ハノイでの米国防長官ロバート・ゲーツに自ら実現を約束した。 世界の趨勢となった戦闘機などの国際共同開発を道を開くには、 武器や関連技術の輸出を原則として禁ずる三原則がネックになる。 防衛省は見直しを念頭に防衛産業との研究会も発足させたばかりだった。 菅には年明けの通常国会の方が重要だった。 衆院再議決に必要な3分の2の議席を確保するため、 三原則見直しは社民党との連携の「犠牲になった」(外務省幹部)。 菅は6日に社民党党首、福島瑞穂とにこやかに握手を交わしたが、 菅が大綱への明記見送りを北沢に指示したのはその翌日だった。 「政局を安定させないと政策も何もあったもんじゃない。 あんたが大将なんだから、政局安定のために方針を決めればいい」 北沢は菅にこう伝え、見直し断念を受け入れた。 北沢は省内の会議で「やむを得ない。これが政治だ」と言い渡したが、 部屋には沈鬱な空気が漂った。 「大綱に見直しを明記すれば、米国は『日本の優れた技術力を生かす』と 日本を評価する文書を発表する段取りだったのに」 政府高官は悔やんだ。 菅は17日に大綱をとりまとめた後、沖縄を訪問した。 18日は今年5月の日米共同声明で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の 移設先とされた名護市辺野古崎地区を空から視察した後、 記者会見で「基地問題をしっかりとこの目で見るという目的を 実現することができた」と胸を張った。だが、自衛隊のヘリコプターで 見下ろすだけのおざなりな視察で何が分かったというのだろうか。 「私自身、沖縄の皆さんとのコミュニケーションを図って全力を尽くす」 菅は11月、アジア太平洋経済協力会議(横浜APEC)のため来日した 米大統領、バラク・オバマに普天間問題の解決を目指す決意を示していた。 ただ、「最低でも県外」の公約を破った前首相、鳩山由紀夫が今年5月4日、 宜野湾市民との対話集会で「本当に総理か!」と罵声を浴び、 約1カ月後に本当に総辞職した教訓をもとに、菅はできるだけ住民との 接触を避けた。移設反対の名護市長、稲嶺進との会談も先送りした。 「日本政府は、普天間飛行場の移設が進めば、嘉手納基地以南の土地が 返ってくるということをもう少し国民に向かって説明する必要があるのでは ないか」 米国務次官補代理(東アジア・太平洋担当)のジョセフ・ドノバンは 15日午後、国会内で元防衛庁長官の自民党衆院議員、 中谷元らにこう苦言を呈した。 米シンクタンク「新米国安全保障センター」も今年10月、 普天間問題に関し、「日本政府は米軍基地が所在する地域と継続的な 対話を行うべきであり、政治家や官僚も米軍基地の有用性や同盟が もたらす利益について住民との対話やメディアでより体系的に 説明する必要がある」と提言した。 菅の行動は完全に逆行している。 「今後もしっかりやっていけますよね」 在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)協議で来日した 米政府高官は日本 側交渉担当者にこう伝え、民主党政権が再びぶれないよう クギを刺した。 11月の首脳会談で、オバマが菅に来春の訪米を要請したのも、 期限を切る形で普天間問題の進展を求めたのは明白だ。 しかしそれも外相、前原誠司は16日の講演であっさりと否定してしまった。 「できるだけ早く物事を解決することは大事だが、それを首相の (米国)訪問とリンクさせるようなことはしない」 沖縄県知事の仲井真弘多(ひろかず)は17日夜、那覇市内のホテルでの 夕食会で菅に「戦没者追悼式には、ぜひ黒いかりゆしウエアを着てきてほしい」 と語りかけた。 菅周辺は沖縄全戦没者追悼式の6月23日まで政権にいてほしいとの メッセージと受け止めたが、安全保障問題で先送りを続ければ、 菅が鳩山と同じ末路を見ないともかぎらない。(敬称略)
http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page074.html
2010年12月 27日 南京大虐殺 南京大虐殺について高原朗子 熊本大学准教授が産経新聞に詳しく 書いています。 私もそんなことは物理的に不自然で捏造したものであると思っていたところ、 やはり中国側の国民操縦策であったと納得しました。 これらの操縦策のでっち上げを朝日新聞でいかにも真実のごとく取り上げ、 書いている事に憤りを覚えますね。 朝日新聞は左翼傾向が強いとは思っていましたが、こうも反日思想で 凝り固まっているとは想像もしませんでした。 また民主党が中国の言いなりになり、中国の言い分を鵜呑みにして、 謝罪外交を展開し、日本人の誇りを失わせている事に我慢なりません。 日本国民は真実を知ることが必要です。 独立国であれば、自国を大事にすることは当たり前です。 悪い事は悪いと認めて、良い事は良い事として自信を持って 政治に当たらなければ日本自体が崩壊してしまいますね。 民主党政権は日本の崩壊を望んでいるようにしか見えません。 昭和12年、南京攻略戦の最中、新聞記者、浅海某は日本内地に送る華々しい 戦闘記を書くために現地部隊の2人の将校にインタビューした。 “新聞に載ったら花嫁候補が殺到しますぜ“ との甘言に乗った二人は照れながら軍刀を杖にカメラの前でポーズをとった。 すぐに追撃戦に参加した両将校は内地の新聞に書かれた記事については 帰国するまで、全く知らなかった。 記事は今日10人、明日は15人、と二人が競争してそれぞれ敵兵を バッタバッタと軍刀で切り倒すという講談調の武勇伝だった。 勿論記者のねつ造記事で、あり得ない真っ赤な嘘であったが、 新聞を読んだ国民の大半が、これを信じたと言うから活字メディアは恐ろしい。 戦後戦勝国となった中華民国は、極東軍事裁判で主張した南京虐殺− これ自体は極東裁判では証拠不十分で認められなかった− の下手人がいない事を困って、戦争中の日本の新聞記事を利用。 二人を南京に連行し“戦犯裁判”を行い、昭和23年1月28日処刑した。 二人の遺書は獄中から密かに同房者によって持ち出され遺族の手に渡った。 そこには「自分たちは無実である。しかし中国が日本に対しての 抗戦8年の恨みを自分たちの死によって少しでも和らげてくれるなら、 日中の今後の平和の礎の人柱となるのはやぶさかではない。 ただ、捕虜や婦女子の虐殺は絶対に受ける事は出来ない。 日本と日本人の名誉にかかわる事である」と血を吐く叫びが書き連ねてあった。 南京軍事法廷の判決文には兵士ではなく「捕虜と婦女子・老人を虐殺した」となっていたのである。 更に「日本婦人の歓心を買わんがために・・・」との理由まで付いていた。 捏造記事を書いた浅海某はこれが創作であったとの証言をしなかった。 後にこの人物は新聞社の労組委員長となり、中国側より厚遇され、 北京に永住し、そこで死んだ。 昭和47年、日本は中華民国から中華人民共和国に乗り換えた。 その頃朝日新聞に「中国の旅」という本田某の記事が連載された。 二人の青年将校が残虐の限りを尽くして、中国人の老人・婦女子を 斬り殺す競争をしたと書き、これを読んだ人々に、日本軍の残虐さを 印象付けた。 中華人民共和国政府は20年ぐらい前から、急に南京大虐殺記念館を中国全土に 造り始めた。全国百数十か所あるというその虐殺記念館には 二人の青年将校の等身大のその写真が掲げられ、毎日中国全土から 見学者が訪れている。 また日本からの修学旅行団も訪れており、二人の将校、野田毅少尉と 向井敏明少尉の写真に、小学生が「バカ野郎、日本人の面汚し」と叫んだりしている。 同じ記念館には日中友好の士として本田某や嘘の虐殺話をして 訴えられ有罪となった東某の写真が掲げられ、顕彰されている。 野田少尉・向井少尉は無実なのに日本万歳・中国万歳、日中友好を祈ると遺書に書き、また、処刑上で叫んだ。 今は虐殺犯として日々、同じ日本人の小学生からさえ辱めを受けている。 浅海某・本田某・東某等の行為は普通の国では亡国の徒とか売国奴と呼ばれる。 なにも言わない日本人及び日本政府の罪は重い。
2010年12月 22 日 歴史の勉強3 政治問題ばかり掲載していると、たまには息を抜きたくなるもので、 歴史の勉強など特に楽しく感じるものです。 日本人のルーツを知る事は面白い。 少し退屈でしょうが読んでください。 縄文人たちがどこから来たのかということについては、 最近の遺伝子の研究で、ずいぶん明らかにされています。 Gm遺伝子の分布 上の図をみると明らかなのですが、Gm遺伝子の中で、 afb1b3遺伝子というものがあります。図の赤の遺伝子です。 これは抗マラリア遺伝子で、この遺伝子を持っていると マラリアにやられない。 戦時中、日本の将兵の多くが南方戦線でマラリアにやられましたが、 現地の人がなんともないのに、日本人がずいぶんやられた背景には、 こうした抗体を持つ遺伝子を持っているかどうかがファクターになっていた。 また、図をみるとab3st遺伝子(図の黄色の部分)を日本人は 多く持つのに対し、朝鮮人や支那人にはそれが少ないです。 日本人とそっくりの遺伝子を持っているのは、どうやらバイカル湖の ほとりあたりの人たちです。 とうやら日本人のルーツは、北方型蒙古系民族に属するもので、 その起源はシベリアのバイカル湖畔にあるようです。 もうひとつ大切なファクターがあります。 気温の変化です。 過去35000年の気温変化をみると、一万八千年前〜二万年前に極寒期があり、 現在より気温が7〜8℃低かったのです。 過去35000年の気温変化 このときの海水面は現在より120〜140m低かったのだそうです。 海峡深度との比較から、北海道は宗谷海峡、間宮海峡がシベリアとかなりの 期間繋がっていた。 ちなみに日本の南側・・・屋久島〜奄美大島間は深度千メートルあるので、 繋がっていません。 津軽海峡と対馬海峡西水道(=朝鮮海峡)も、つながっていたとは言い難い。 こちらは水深150Mほどなので、微妙といえば微妙なのですが、 完全な陸続きとは言い難いようです。 つまり、もともとバイカル湖畔あたりにいた人たちが、 地球気温の寒冷化によって南下をはじめ、樺太から北海道を経て、 日本の本州に棲みついたというのが真相のようです。 同時にこの時期、一部の人たちはベーリング海峡を越えて、 北米大陸に移住しています。 そうです。アメリカインデアンの先祖です。 縄文土器の伝播 非常におもしろいのが、長崎県の対馬越高遺跡で発掘された 七千年前の土器(上図右)と、神奈川県大和市で発掘された 一万二千年まえの土器です。 模様が酷似していますが、神奈川の土器の方が五千年も古いです。 要するに、日本の縄文文化は支那から朝鮮半島を経由して 入ってきたものではなく、バイカル湖から樺太〜北海道〜本州へと 南下するなかで、日本の風土に合わせて育まれた文化である、 と確定してよさそうです。
一方、朝鮮半島では一万二千年前から七千年前にかけての遺跡が、 まったく発見されていません。 これは実に不思議なことで、一万二千年前から七千年前までの五千年間、 朝鮮半島からは人間が住んだ痕跡が消えているのです。 なにもない。ヒトの気配が、朝鮮半島からまるでなくなるのです。 朝鮮半島の一万二千年以上前の遺跡・・・つまり旧石器時代の遺跡なら、 50ヵ所程度発見されています。七千年前以降の遺跡なら、 数多く発見されている。 ただし、朝鮮半島の旧石器時代の遺跡程度のものなら、 日本で発見された遺跡数は三千〜五千カ所に上ります。 要するに朝鮮半島には、旧石器時代の遺跡自体の数がほどんどなく、 しかも一万二千年前から七千年前までの五千年間、遺跡の空白期間がある。 そしてその期間を通じて、日本には、数多くの遺跡が発掘されているということです。 朝鮮半島で、遺跡がなくなる五千年間、そこでいったい何があったのかは、 まさに「神のみぞ知る」ことです。
2010年12月 21日 普天間は共同使用拡大で解決を 産経新聞の【正論】で拓殖大学大学院教授・森本敏氏が 「普天間は共同使用拡大で解決を」 と述べている事は傾聴に値する。 自衛隊の基地であれば沖縄は受け入れなければならない。 何故ならば沖縄は日本国内なのだからである。 沖縄の左翼は日本の防衛力を弱体化させることで、 中国のご機嫌取りしているが、それは国賊なのです。 日本国民である以上は自国は自国民が守るのが当然のことだし、 アメリカ軍が防衛に協力するとしても、当事者は日本国なのでああるから、 この事に反対は出来ないのです。 この事に反対するのは、日本人ではなく国籍を即刻返上して、 信奉する国へ亡命してもらわなければならないのです。 自国の防衛に反対する方は主義主張の問題以前の問題で 亡国の徒であるから自国の防衛については自由はないのです。 何が何でも自国防衛は憲法以前の問題で、人間の生存権の問題だからです。 この事を考えて行動しなければならないのです。 以下森本氏の論文です。
韓国哨戒艦「天安」撃沈、尖閣諸島沖の中国漁船衝突、 北朝鮮による韓国砲撃と激震続きの北東アジア情勢は今後、 さらに剣呑(けんのん)になる可能性が高い。 中国、北朝鮮が領有権を主張して海洋で活動する傾向が強まっていて、 しかも、その両国が協力関係を緊密化しているからである。 北東アジアの政権はおしなべて、他国に妥協するなという国内圧力を受けており、 小さな事件も大きな外交案件に発展して国益がぶつかりかねない状況が 生まれているためでもある。 こうした中、日本にとっての優先課題は、日米同盟を信頼性あるものに することしかない。 日米安保体制は、ユーラシア大陸内部への対応を想定しておらず、 その深化への中心課題は、いかに対中海洋戦略を日米で共有し、 抑止と対応の機能を強化するかにある。 ◆合意順守に信頼回復かかる それには、日本として米軍再編計画を強力に支える必要があり、 支援の中核を成すのが普天間飛行場移設問題の解決である。 菅直人政権は、8カ月間にわたり迷走した鳩山由紀夫前政権の負の遺産を なお引きずっており、米国の対日信頼感は回復していない。 それを取り戻すことこそ、日本が直面する課題であり、 北東アジア情勢に対応する重要な手立てになる。 そのためには、5月28日の普天間問題に関する日米合意を順守する道筋を 示さなければならない。 米国は沖縄県知事選までは待ってくれたが、これ以上は待てないという 態度を近く示すであろう。 他方、現職の仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事の当選は 歓迎されるとしても、普天間飛行場代替施設の建設工事申請に 許認可を与えることは、「県外移設」の公約を掲げて再選された知事として 容易ではあるまい。 沖縄県民の声は「差別」への不満である。 なぜ沖縄を本土と差別するのか、なぜ本土の安全のため沖縄だけに 米軍基地を押し付けるのか、という問題に真剣に取り組まなければ、 普天間問題は前に進まない。 経済振興策だけでは「差別」感は解消しないのである。 となると、前進への鍵はどこにあるのか。 キーワードは「共同使用の拡大」だ。 それにより、沖縄駐留米軍の活動・訓練機能をできる限り本土に 移転することを抜本的に検討すべきときであろう。 ◆在英米軍基地をモデルにせよ 在英米軍基地のように自衛隊の基地・施設をすべて米軍が使用できるようにし、 代わりに米軍施設も自衛隊が使えるようにする。 米軍基地の管理・運営は基本的に自衛隊が担当、米軍基地従業員も 自衛隊が雇用する。 それに伴う経費はかさむものの、その分、接受国支援が相当に減額できる。 基地問題も円滑に処理され、専用の米軍基地の比率は格段に低下する。 新たな基地問題の発生を防ぐため、地元が反対する自衛隊施設では、 米軍の訓練や活動は極力、控えてもらうことにし、 歓迎される施設には受け入れてもらう。 これによって、日米防衛協力を日常の訓練や業務を通じて 拡大することもできるようになるであろう。 また、普天間飛行場の代替施設は日米合意通りに辺野古周辺に造るとしても、 それも自衛隊の管理施設にするというやり方もある。 九州一円で米軍訓練施設を改めて探す努力も払うべきである。 普天間問題が迷走していたころ、十分な検討をせず放置した施設についても 検討し直すべきである。 米海兵隊は将来、アジア太平洋地域において固定的な基地を設けて 運用されるのではなく、地域全体を遊撃的に動き回って柔軟に展開、 抑止機能を発揮するという態勢を取ることになるであろう。 ◆グアムを急ぎ対中戦略拠点に ハワイ−沖縄−日本本土−韓国−グアム−豪州−東南アジア− ディエゴガルシアと、拠点を持ち回りのように移して活動する 部隊運用体系になる。 その分、沖縄の負担が軽減される可能性は高い。 空軍も同様だ。 海軍は本来、西太平洋全域に展開しており、初めからそういう 体系になっている。 そのためにも、グアム基地をできる限り早期に戦略基地化することが、 南シナ海、東シナ海に進出する中国海軍に対する戦略上、必要となる。 米国は普天間飛行場移設と、グアム基地への海兵隊移転を リンクして扱ってきた。 その原則を変えることはできない。 普天間飛行場問題が動くまで海兵隊移転を保留したまま、 グアム基地のインフラ整備を促進する応分の負担を日本としても負い、 引き換えに、グアム基地を借りて自衛隊の訓練・補給基地として 活用できれば共同使用はさらに拡大する。 米議会には反対が起きると思われるが、この措置によって、 米国と、オーストラリア、韓国、東南アジア諸国連合(ASEAN) 加盟各国などとの共同訓練が可能となり、グアムを、 アジア太平洋地域の新たな基地センターに発展させられれば、 米太平洋軍にとっても大きな財産になるであろう。 限られた施設・区域を十分に活用して沖縄の負担を軽減、 普天間問題を前進させて飛行場返還を実現することは、 日米両国の政府にとってのみならず、沖縄にとっても 利益になるに違いない。(もりもと さとし)
2010年12月20 日歴史の勉強2 歴史を紐解く事は楽しい。 過去を勉強する事は未来への備えともなる。 単に過去の事では済まされない現実が日本の将来への布石として 大変重要だからです。 その意味でときどき掲載しようと思います。 今回は幕末の日本の状態を掲載します。 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1031.html#more この時代の日本の混乱の糸をずっとたぐっていくと、蘭学にかぶれた一部の 閣僚によって、日本はたいして考えもせずに開国し、カネを騙し取られ、 内乱を誘発され、また騙されて武器弾薬を買わされた。 もしかしたら、個人的に巨額のワイロ(キックバック)が動いたかもしれない。 おかげで日本は、いいカモにされたわけです。 もちろん、蘭学によって、今日ご紹介した佐藤泰然のような優秀な医者も 誕生したし、西洋医学の導入によって日本の医療は格段に進歩した。 そういう面も見逃せません。 ただし、この佐藤泰然が、卵巣摘出手術に、西洋にさきがけて 成功しているように、彼はただ単に西洋かぶれ、外国かぶれになったのとは ワケが違う。 彼は、日本人としての公に奉ずる心を失わず、学ぶべきところを外国に学び、 技術を取り入れ、それをさらに良いものに昇華しています。 これは「かぶれ」ではない。 謙虚に「学び」、「工夫」し、「昇華」させたものです。 「学ぶ」ことは、「かぶれる」ことと違います。 イケナイのは、ただ外国万歳と、なんでもかんでも外国のものは スバラシイなどと、礼賛することです。 そこには謙虚さというものがない。「驕り」だけです。 現代社会でも同じです。 いたずらに、中国バンザイ、韓国バンザイなどとやって、工場を進出させ、 多くの企業がものの見事に騙されている。 そこに利権がからみます。 支那のガス弾処理のために麻生政権が断った支那への資金と人材供出を 民主党政権ははじめた。 総額1兆円規模です。 キックバックは2割という噂もある。 銭をもらうまでは、民主党政権は、支那のポチ君にならざるをえない。 そこには「誇り」も「矜持」も「謙虚さ」も、かけらすらない。 「欲」があるだけです。 何事もそうですが、してはならないことや、プライドを犠牲にしたら 儲かるということがあります。 売春みたいなものです。 ボクは、いまの民主党政権というものは、終戦直後にアメリカ兵に春を売った パンパンみたいなものだと思っています。 民主党パンパン政権です。 しかし、欲ボケ、色ボケ政権は、まさに国を滅ぼします。 それどころか、総額750兆円にのぼる日本の領海内地下資源さえも、 中共政府に奪われ、日本の将来の富を失うことになる。 以前、「小麦のお話」を書いたとき、まさに日本は神国だと書きました。 小麦だけでなく、資源の問題も同じだと思います。 神々は日本人に、ハナから資源を与えることをしなかった。 先に省エネを研究し開発させた。 省エネのためのマインドも日本に定着させた。 その間、ずっと日本の埋蔵資源は、藪の中です。 見えそうで見えないものだった。 そして、ようやく省エネがカタチになったいま、日本人に埋蔵資源に 気付くよう、これを明らかにされた。 南方の資源国と異なり、日本は、ただ資源を輸出するだけでなく、 これを工夫し、加工する技術を持っています。 さらに世界の福祉と正直さや正義、人々が安心して安全に暮らせるための 哲学を持った国です。 人を騙したり、暴力をふるったり、殺したりすることをなんとも思わない 中共政府にその資源を与えるのか、それとも正直で、暴力を嫌い、ともに生きることを是とする日本に資源を委ねるか。 いま、世界の善意が試されようとしています。 そしてそのド真ん中にいるのが日本であり、私たち日本人です。
2010年12月 17日 櫻井よし子 中国革命に対し日本に必要なこと 櫻井よし子氏の論文が杜父魚文庫に掲載ありましたので取り上げました。 櫻井氏の文章が見つかればいつでも掲載しようと思います。 http://blog.kajika.net/?cid=43327 周辺国を力で影響下に置こうとする『中国革命』に対し日本に必要なこと 桜井よしこ 2010.12.13 Monday name : kajikablog 選挙自体は普天間飛行場移設問題の解決にも、行き詰まった日米関係の 解決にもならないが、まず、それを制さなければなにも始まらない。 これが11月28日の沖縄県知事選挙だった。 結果は現職の仲井眞弘多(ひろかず)氏が約34万票で、対立候補の 伊波洋一氏を4万票弱引き離して再選された。敗れた伊波氏は強硬な県外、 国外移設派だ。一方、仲井眞氏は最後には県外移設を訴えたが、 もともと辺野古への受け入れを了承していた。氏の県外移設の主張は、 そう言わなければ敗北するという状況下で打ち出されたもので、 氏の本意は最終的には受け入れにあると、希望的解釈を試みる人もいる。 だが、県内移設絶対反対の伊波氏は敗れたとはいえ、約30万票を獲得した。 仲井眞氏の勝利で解決へのわずかな希望は残されたものの、 最終的な解決の道はまったく見えないのだ。 仲井眞氏は選挙戦の最中には、「(県内移設への)僕の理解があっても、 県民の理解が得られると思いますか」と反問し、当選直後には、 「米軍は沖縄のためだけにいるのではない。 日本全体、東アジアのための日米安保だ。 移設先は日本全国で見出してほしい」と述べて、 県内移設を望む民主党を突き放している。 仲井眞氏のこのような姿勢は、県民の意向であると同時に、 民主党への反発でもあろう。日米安保、普天間移設という 重要問題が焦点であるにも拘らず、民主党はこの選挙とまともに向き合わず、 自主投票にした。公然と伊波氏を応援した民主党議員もいた。 仲井眞氏から見れば、そもそも問題を起こしたのは 鳩山由紀夫前首相であり鳩山政権の副総理だった菅直人首相である。 民主党が移転先としての辺野古を否定し、 今、再び辺野古に移設させてほしいと言い始めた経緯を見れば、 党を挙げて仲井眞氏を応援するのは当然だ。 にも拘らず、県民世論の前に、やむなく県外移設を言い出した仲井眞氏を 「政府の(県内移設という)方針と相いれない」として支援もしなかった。 仲井眞氏が「民主党さん、もう勝手にどうぞ」という気持ちになるのも、 わからないわけではない。 だが、政府も仲井眞氏も、沖縄と日本を取り巻く危機的状況を肝に 銘ずるときである。沖縄の眼前の海で中国海軍の軍艦10隻が3日間の 大規模訓練を行い、沖縄本島と宮古島のあいだを航行したのは今年4月。 監視活動中の海上自衛隊に、彼らは挑発的異常接近を試み、 こう発表したのではなかったか。 「日本は中国海軍の動きに神経質過ぎる。 こういうことは以降、常態化する。日本はそれに慣れるべきだ」。 沖縄の海で初めて日本に見せつけるように大艦隊を組んで演習したのも、 直後にこの種の軍事行動は日常化すると宣言したのも、 中国の戦略転換ゆえである。昨年七月、全世界の大使を一堂に集め、 胡錦濤国家主席が訓示した。 かつてケ小平氏が述べた「韜光養晦(とうこうようかい)」 (姿勢を低く保ち、強くなるまで待つ)、日本風にいえば 「能ある鷹は爪を隠す」という方針から、 「有所作為」(なすべきことはなす)という方針に転換する旨、宣言したのだ。 従来はむやみに力を前面に押し出すことは控えてきたが、 これからは必要ならば、力を前面に押し出す、中国の手法で 世界の新たな秩序をつくるということだ。 米国気鋭の中国問題専門家、エリザベス・エコノミー氏はこれを 「革命」と呼んだ。いまや、世界は「中国革命」の脅威に直面しているのだ。 中国革命は軍事的経済的拡張を伴いながら、周辺国を中国的手法で その影響下に置こうとする。 日本周辺に高まる緊張のなかで、日本に必要なのは、 祖国を自ら守る気概と、気概を担保する軍事力の整備だ。 その重要な部分が日米安保である。 民主党も仲井眞氏も、沖縄県民に向かってそのように論ずることでしか 普天間問題を解決出来ないことを認識すべきである。(週刊ダイヤモンド) 杜父魚文庫
2010年12月 16日 聖徳太子と日本の元気 マーケティングコンサルタント・西川りゅうじん氏の論文を掲載します。 産経深部に掲載の論文であるが日本人を思い起こさせる記事に感銘しました。 以下是非読んでいただきたいと思います。 2010.12.15 04:25 ■「聖徳太子」と日本の元気 聖徳太子は、かつて長きにわたり日本銀行券の代名詞、つまり、 日本経済の顔だった。 太子の肖像は、戦前2回、戦後5回の計7回、歴史上の人物の中で最も多く 図柄に使用されてきた。とりわけ、昭和33(1958)年12月から 61年1月まで発行された壱万円札は、戦後使用された中で最も発行期間が 長い紙幣だ。国民がこの聖徳太子を拝んでいた頃、日本は元気だった。 日本経済が繁栄を謳歌(おうか)した時期とは「聖徳太子の時代」 だったとも言える。 近年、聖徳太子のモデルとなった厩戸皇子(うまやどのみこ)は実在したが、 皇子の死後、約1世紀後に編纂(へんさん)された『日本書紀』などに 記された聖徳太子像は創作だったという説を唱える研究者もいる。 くしくも、国民が聖徳太子を目にする機会がなくなり、 太子の業績について信憑(しんぴょう)性が疑われ始めたのと 時を同じくして、日本人は自信を喪失し、国内外で日本経済の将来について 疑問符が付されるようになった。 日本経済の「失われた20年」とは、日本国民が聖徳太子を失った 20年でもある。 だとすれば私たちは聖徳太子を取り戻さねばならない。 では取り戻すべき聖徳太子とは一体何なのか? 太子が実在の人物であろうがなかろうが、数々の史実が物語るように、 当時、国内外に対して国の威光を示し、懸命に日本の国づくりに 邁進(まいしん)した私たち日本人の先祖がいたことは間違いない。 国内においては、豪族が割拠し、天皇の権威を脅かす者まで出てきていた。 そこで、氏姓や門閥ではなく能力や功績によって人材を登用する 「冠位十二階」の制度を定めた。 日本最初の成文法といわれる「十七条憲法」も後年に書かれたという説もある。 しかし、後年とはいえ『日本書紀』が著されたのは1300年も前のことだ。 その頃の人々が考えた日本国の目指すべき理想像を体現したものに相違ない。 「一に曰く、和を以(もっ)て貴しと為(な)し」と話し合いによる 問題解決の重要性を説いた。 しかしながら、外国に対しては常に毅然(きぜん)とした態度で臨んだ。 「隋書東夷伝」によれば、「日出づる処の天子、書を、 日没する処の天子に致す。 つつがなきや」と書いた国書を小野妹子ら使者が携え、 隋(ずい)の煬帝(ようだい)に渡している。隋の使者、 裴世清(はいせいせい)が日本にもたらした書には、 「皇帝、倭(わ)皇に問ふ」とあった。 中国から見た蔑視的国名の「倭」を書き改め、返書には 「東の天皇、西の皇帝に敬白す」と記した。 大運河を建設した世界有数の帝国に対しても膝を屈することなく、 あくまで対等の外交を行った。 その一方で、遣隋使を派遣して、学ぶべきは徹底して学び、取捨選択して、 優れた制度や技術は積極的に日本に取り入れた。 聖徳太子とは、内憂外患の中で、立派な国を作ろうとした往時の 日本人の思いが結晶した象徴であり、理想像に違いない。 今こそ、私たちは聖徳太子の気概を取り戻すべきだ。 先達に恥じないよう、聖徳太子の名がごとく、国外に対しては超然として 神聖さを貫き、国内には端然として人徳を以て治める国にしなければならない。 (にしかわ りゅうじん)
2010年12月15日 靖国問題 1 上杉隆氏 [ジャーナリスト] が靖国問題を書いているので掲載しました。 彼の考え方に共感もするし共感できない所もあるが方向性としては 私の考え方に近いため掲載する事にしました。 この論文は8月に書かれたものだが、年末にもう一度 靖国問題を考えてもらうためにあえて今回掲載する事にしました。 以下彼の論文です。 例年になく静かな65回目の夏が過ぎて、 政治が靖国問題を直視すべき時が来ました。 終戦記念日、今年も靖国神社に参拝に行った。 1999年以来、11年連続となる。 参拝後は取材である。到着殿に回り、国会議員の参拝後の様子を窺った。 その後は例年通り、境内大鳥居の脇のところで「チャンネル桜」の インタビューに応じた。 久しぶりにお会いした東條英機元首相の孫・東條由布子氏とも挨拶を交わした。 例年よりも参拝客は少ない。 コスプレ風の若い女性参拝者が増えたのも例年にない傾向である。 靖国神社の風景は確実に変わっているのだろう。 菅内閣の閣僚が全員参拝を控えたためか、 政治的な騒動も消えたようだ。 そもそも、靖国神社の求めている参拝時期はそれぞれ春季と秋季の 例大祭である。終戦記念日の英霊顕彰は、日本遺族会の希望である。 静かな参拝を望むという点では、靖国側の求める状況に近づいたともいえる。 筆者が初めて日本遺族会を取材してからすでに9年が経過した。 2001年8月13日、時の小泉首相が、 内閣総理大臣として久しぶりに靖国を参拝した朝以来、 靖国神社は常に騒動の中にあったような気がする。 A級戦犯合祀の問題は 今年も何一つ進展なし 今回、確かに靖国神社には相対的な「静寂」が訪れた。 だが、根本的な問題解決には至っていない。 その理由は、いわずもがな、いわゆるA級戦犯の合祀の問題が、 何一つ進展・解決していないからである。 9年前のその日、小泉元首相はこう語った。 「私はね、特定の人だけに対して参拝しているじゃないんです。 この戦争でね、苦しい思いをされ、できれば避けたかった、 戦場に行きたくなかった多くの兵士がいるんです。 その人たちにお参りしているんです」 東條氏の祖父を筆頭とする戦争指導者を靖国神社が合祀していることの 是非について、世論が分かれているのは紛れもない事実である。 中国や韓国に指摘されるまでもなく、たった一枚の「召集令状」で 戦場にかり出され、たった一枚の「戦没者通知」として還ってきた、 父や、夫や、息子を思う余りに、戦争指導者を絶対に許さないという 遺族の声は少なくない。 単純化した日本のマスコミの一面的な報道と違い、 日本遺族会の会員たちの間には、一枚岩ではない様々な考えがあることを 知ったのは取材を始めた直後だった。 その温度差に触れるにつれ、筆者はますます靖国問題にのめり込んだ。 たとえば、わずか2歳のとき、召集令状によって向かった フィリピンのレイテ島で父を亡くした日本遺族会会長の古賀誠衆議院議員と、 同じく日本遺族会副会長で、3歳のときに海軍少佐で 駆逐艦「夕霧」の艦長だった父を失った尾辻秀久参議院議員では、 いわゆる「A級戦犯」に対する感情が全く違うのを知ったのも 取材によってである。
2010年12月 14日 歴史の勉強1 面白くもない民主党政治に対する不満を書き続けて少し飽き飽きしたので、 ここで少し歴史の勉強をしたいと思い検索したところ、 幕末の事が出て来たので掲載します。 5回に分けて掲載しますので、また面白い政治問題が 生じたら政治問題を掲載します。 以下は幕末の日本の事ですが、如何に巧妙に欧米列国が 日本から財宝を巻き上げたかが分かるので面白いですね。 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1031.html#more 嘉永6(1853)年といえば、ペリーの乗った黒船が浦賀に来航した年です。 このときペリーは、日本の開国・通商を求める米大統領の親書を もって来日していますが、幕府側が一年の猶予を求めたため、 ペリーはいったんひきあげています。 翌安政元(1854)年1月16日、再びペリーは来航し、 今度は東京湾に直接侵入します。
そして約1ヶ月の交渉の末、同年3月に締結したのが、 日米和親条約だ、というのは教科書によく書いてある史実です。 この日米和親条約の第九条に、日本が片務的最恵国待遇を 米国に与えるという文字があり、これが治外法権を認める 不平等条約になったなどということも、教科書で習ったご記憶が あろうかと思います。 しかし、教科書にまったく書かれていない、もっと重大なことが、この年、日米間で決められました。 このお話は、昨日、詳しく述べていますが、蘭学好きの開明派の 幕閣によって、日本は開国し、日米和親条約を締結します。 この日米和親条約は、その後の日米修好通商条約と並んで、 不平等条約であり、明治政府は、陸奥宗光外務大臣のときに、 この不平等条約を改正した、とみなさんは学校で教わったことと思います。 しかし、いちばん大切なことが、教科書の記述から洩れている。 みなさんは、不平等条約というものが、なぜ「不平等」かと、いえば、 それは「治外法権」を外国に認めた、すなわち、 外国人が日本で犯罪を犯しても、日本政府はこれを取り締まることが できない、だから不平等条約だと、学校で教わったことと思います。 けれども、よく考えてみてください。 現代社会でも世界共通で、外国人の犯人が大使館に逃げ込んだら、 日本の法律はその中には及びません。 その意味では、すくなくとも外国大使館の中はまさに 「治外法権」なのであり、その程度のことはいまも昔もなんら変わりはない。 昨日も書きましたが、実は、この日米和親条約の最大の問題は、 条約が「締結された翌月」に交わされた細則にこそ、最大の問題があります。 その細則によって、日本は、世界の金銀の為替相場(交換比率)と、 国内の交換比率の違いによって、国内の金をまるごと米国に 流出させることになったのです。 このお話は、昨日、詳しく書きましたので、繰り返しませんが、 この為替で大儲けした(日本からみれば大損した)ハリスは、 ワシントンの出身です。 その後、世界で何が起こったかといえば、アメリカで南北戦争が起こった。 南北戦争では、北軍が勝利し、南軍は、巨額の戦費を世界から 外債を発行して集めていたので、戦争に負け、それが払えなくなり、 南軍の持つ領土11州を、北軍に売却しています。 北軍は、南軍11州を占領し、南軍の作った借金を全額立替え払いした。 では、その北軍は、どのようにして戦費を調達したのでしょう。 北軍が外債を発行したという話は伝わっていません。 しかも南軍の外債まで立て替え払いして清算している。 北軍の戦費はどこから? つまり、日本から流出した金、約1京円(10000兆円)の資金が、 北軍の戦費となり、アメリカ合衆国の統一資金となった。 それだけじゃなく、南北戦争の直後にアラスカをキャッシュで買い取っている。 アラスカは占領ではありません。 「買い取った」のです。 しかもその時期は、巨額の戦費がかかった南北戦争の直後です。 どこからお金がでたのでしょう? さらに、です。 北軍は、南北戦争で使われた膨大な量の鉄砲や弾薬、大砲などの火器を、 まるごと中古品として日本に売却しています。 南北戦争で余った中古の武器弾薬は、イギリス経由で官軍へ、 フランス経由で幕軍に売却された。 これで米英仏は、大儲けです。坊主丸儲けとはこのことを言います。 日本国内だけなら、火器は300年前の火縄銃くらいしかなかったし、 武器は刀と槍くらいです。 幕府はすでに大政を奉還しており、あえて倒幕軍を興す必要もなかった。 すでに内戦する理由はなかったのです。 火器がなければ、仮に戦闘があっても、せいぜい斬り合いの 局地戦くらいしか起こらなかった。 戊辰戦争は、両陣営に火器が手に入ったこと、および、 金の流出で国内経済が悲惨なほどたいへんな状況になって、 「幕府討つべし」の気運がどうしようもないくらい高まったこと、 それに火器なら、自分は痛い思いをしなくても闘える。 遠くからズドンと撃つだけです。 武器は、南北戦争の中古品。 武器を使うのは、武士だけでなく、農民兵。 経済の混乱というのは、小判(金)の国外流出によって 日本国内に小判がなくなったということがあります。 この対策のため、幕府は、金の含有量が慶長小判の4分の1しか ない万延小判を発行した。金の流出を停めようとしたからです。 おかげで、昨日までの1万円札が、今日から2千円の値打ちしかなくなった。 驚いた庶民は、両替商(いまでいう銀行)に殺到し、いまでいう 取り付け騒ぎが起きている。 国内経済は混乱し、急激なインフレが世を襲います。 庶民のストレスもピークに達したのです。 物価高騰の原因は、幕府が開国して金を流出させたからだ。 悪いのは幕府だ! 国内世論は、攘夷論に一気に傾きます。 倒幕をしなければならない、という気運が高まり、そこに南北戦争で生まれた大量の中古武器が流れ込んだわけです。 この後の歴史は、みなさんがご存知の通りです。 戦後の教科書は、南北戦争や戊辰戦争(明治維新)のことは 書いているけれど、南北戦争の戦費やアラスカの買い取り、 日本からの小判(金)の流出のことは、まったく書いていません。 次回へ続く・・・・・
2010年12月 13日 軍事報復を控える米韓に注意を 平和・安全保障研究所理事長 西原正氏が「軍事報復を控える米韓に注意を」 と述べているが、日本は本気で日本防衛をアメリカに任せていても いいのだろうか? 甚だ疑問に感じます。 外国に自己の防衛を任せると言う事の異常さもだが、 それを当然の事として、戦後間もないころの何もできない日本の状態では アメリカに任せる事が一番良かったかもしれないが、 経済発展した今の日本では不自然なのです。 自国防衛は世界どの国も当然の事としている事を日本だけは 外国に自国の防衛を任せて平然としているのです。 これは異常な事なのです。 自国は自国民が守ると言う誇りも、犠牲も払わない国は 地球上から抹殺されてしまいます。 日本を乗っ取りたい国は沢山あるのですよ! 日本人が自分たちの血を流さないで他国の若者の血を流させる事は 決してないのです。 この事を肝に銘じて自国の防衛をしなければならないのです。 以下は西原氏の論文です。 ≪新たな半島有事の予兆≫ 11月23日に北朝鮮が韓国延坪(ヨンピョン)島の軍基地や 住民地区を砲撃して多大な被害をもたらした。 ここに新たな半島有事の予兆を感じる。 北朝鮮の砲撃の狙いは、対米協議を再開して国交正常化を進め、 自国の国際的認知を勝ち取るために、米国を交渉のテーブルに 引っ張り出すことにあったと見るべきである。 そして、砲撃の数日前、金正日、金正恩父子が国防委員会の連中と 砲弾発射陣地を視察したと伝えられていることから判断して、 戦闘体験のない28歳の金正恩「大将」に軍事作戦の経験をさせることに あったと推察できる。 1983年にラングーン(現ヤンゴン)で北朝鮮工作員による 全斗煥韓国大統領一行への暗殺事件があり、閣僚ら17人が 爆殺されているが、この計画を立てたのは金正日氏だったとされる。 北朝鮮では新しい指導者には、その権威を確立するため、 こうした物騒な“肝試し”をさせているのだ。 金正日総書記は、米国が二国間協議に応じてこないことにいらだち、 今年は3月に韓国哨戒艦「天安」を撃沈、11月初めには ウラン濃縮施設を公開した。米国が協議に応じず、核開発の放棄を迫る 「戦略的忍耐」作戦を続ける限り北朝鮮の挑発は繰り返されよう。 3回目の核実験や中距離弾道ミサイル「ムスダン」(射程3000キロ)の 発射などが予想され、南北境界線地域での挑発もあろう。 ≪抑止力に欠ける対抗措置≫ 韓国や米国はウラン濃縮や砲撃を強く非難したが、 軍事的報復措置は何ら取っていない。 哨戒艦撃沈後と同じで、今回も韓米両国は合同軍事演習をしただけだ。 米国はすでにイラクやアフガニスタンでの軍事作戦に、兵力、装備、 国防費の多くを回しており、朝鮮半島で新たな戦端を開くのは ぜひ避けたいところだろう。 そのうえ、北朝鮮に対する軍事行動は米国の対中関係を複雑にする。 実のところ、韓国も北朝鮮との戦闘を展開して、これまでに築いた 経済的繁栄を失う道を選びたくないであろう。 哨戒艦が撃沈される不注意を許したこと、延坪島での韓国軍の 自走砲6門のうち3門が故障していて反撃できなかったことを見ると、 韓国軍の戦闘準備態勢は予想以上に低下している。 さらに、開城(ケソン)に投資して作った工業団地で働く韓国人を まず撤収させるまでは、韓国軍は北朝鮮に対して強い軍事行動をとることは できないであろう。 北朝鮮は、こうした韓国軍の弱みにつけ込んだショック攻撃を 今後も試みるかもしれない。 それに加えて、国連安保理の対北経済制裁決議も、中国の巧妙な裏からの 経済支援の継続で効果が半減している。 北朝鮮に出入りする物資の点検も、中国の協力が不十分で 効果をあげているとは言い難い。 さらに、中国は北朝鮮の核開発よりは体制崩壊による難民の流入を 懸念している。 だから、中国は、ウラン濃縮活動も延坪島砲撃も非難していないのである。 これらを考え合わせると、病弱な金正日総書記と未熟な金正恩氏の下の 北朝鮮は、中国の黙認と支援を得て、核開発を進め、 韓国へのミニ攻撃を続けるであろう。 ≪集団的自衛権の行使可能に≫ 日本の安全にとっては、北朝鮮の軍事挑発よりも、 米韓の報復手控えの姿勢の方が問題ではないだろうか。 日本は、米韓両国が「冷静に慎重に対処する」という美名の下に、 常に、軍事的報復を控えていることに注意を払う必要がある。 米韓による合同海軍演習も北朝鮮に対する抑止力にはなっていない。 北朝鮮が繰り返している挑発が、それを証明している。 米国が北朝鮮の挑発に乗らず冷静に外交的に対処したいのは理解できるし、 米国が北朝鮮に対して「戦略的忍耐」姿勢を続けることの利点も理解できる。 しかし、米国が軍事行動を控えているということは、もし将来、 北朝鮮が日本を挑発したときも、米国は同じ姿勢を示す可能性が 高いということである。 つまり日米安保条約の第5条事態(外部からの対日攻撃があった事態)が 発生しても、米国は合同演習などの示威行為でとどまるだろうという 予測である。 ついでながら、同じことは尖閣諸島の防衛についてもいえる。 米国が第5条は尖閣諸島の防衛に適用されると言明しても、 米軍が実力行動に出るかどうかは疑問だとすべきかもしれない。 中国もそう見ているのではないだろうか。 だからこそ、日本は真剣に自国防衛のシナリオを描いておかなければならない。 菅直人首相は、情報収集の強化および不測の事態への準備を指示し、 米韓との連携強化を謳(うた)った。 それぞれは適切な方針であるとしても、具体的に情報収集強化のために 何をするのか、どんな不測の事態を想定してどんな準備をするのか、 不明である。 この際、集団的自衛権を行使できるようにしておくことが重要であるが、 それを来るべき防衛大綱でどう表現するのか。 米韓との連携とは具体的に何なのか。 制服組を加えた国家戦略室を強化し、あらゆる事態を想定して、 戦略を立てておくことが焦眉の急である。(にしはら まさし)
2010年12月 9日 鼻に付く中国 中国軍事専門家の平松茂雄氏が産経新聞に寄稿しているので掲載した。 彼は中国問題の専門家で危機に落ちいっている民主党内閣に 憂慮している一人なのです。 どうにかこの危機を乗り越える方法を提案しています。 心ある国民は誰でも憂慮しているのです。 今の日本の状態を正直に国民の前にさらけ出して、 国民世論を掻き立てる以外にないと思われるからです。 新聞社をはじめとするマスコミはこぞってこの危機の状態を ひた隠しに隠し、冷静になるように呼びかけているが、 冷静になってもやる事が幼稚な外交内政を続けるならば意味がないからです。 ここは危機を正直に受け止め、どうしたらこの国が沈没から 逃れるかを考えて行動に移さなければならないのです。 私は少しでも日本が良くなることであれば良いと思い、 一人でも多くの方にすばらしい論文等を紹介していきたいと思っています。 以下彼の論文です 【正論】 わが国の政治家、マスコミはどうして尖閣諸島で毎回、 同じことを飽きもせず繰り返すのか。 今回は、7月ごろから中国の漁船数十隻が尖閣諸島の領海に入って、 活動していたという。 マスコミが報道したのは9月7日で、そのうちの1隻が わが国の海上保安庁の巡視船に衝突したことを機に、 初めてニュースとなった。 それまで国民はわが国の領海を、中国の漁船が徘徊(はいかい)していたことを あまり認識していなかったのである。 尖閣諸島は、明治28(1895)年にわが国の領土に編入された。 翌29年、石垣島の古賀辰四郎氏が1島を除く4島を政府から借り上げて 主島の魚釣島と南小島で鰹(かつお)節工場などを営み、 昭和7年の払い下げで私有地とした。 太平洋戦争が近づいて古賀氏が引き揚げると無人島になり、 現在は埼玉県の日本人が所有している。 したがって、周辺12カイリの海域はわが国の領海である。 国際法上、外国船は軍艦を除いて通過できる(無害通航)ものの、 活動したり徘徊したりすることは認められていない。 海上保安庁の巡視船は領海を侵犯した外国船に対しては、 その旨を通告して立ち退かせているものの、数十隻の漁船を相手に、 追い払ってもまたくるというイタチごっこを繰り返すのは、 並大抵の苦労ではなかろう。 こんな事態を招いたのは、わが国政府、マスコミ、評論家らの 事なかれ主義である。 今回の出来事の責任は専ら、民主党政権の責任に帰されているが、 事なかれ姿勢は、民主党の下ではひどすぎるといった程度の差こそあれ、 自民党時代にも通底するものだ。 ≪尖閣の発端は海洋法条約≫ 尖閣問題の発端は、1973年からの国連海洋法条約会議に象徴される 「海洋の時代」の到来にある。 それまで人類が開発し消費してきた陸上の資源がこのままでは枯渇するので、 海の資源、特に海底に埋蔵されている資源が着目されるようになって、 それを利用するルールが必要になった。 条約の討議を前に、世界の沿岸国は自国の海を囲い込んで海洋調査を実施した。 南米諸国は何と500カイリを主張、これを受け入れると世界の海の 大半が排他的経済水域になり、公海はほとんどなくなってしまう。 そこで200カイリで手打ちが行われたのである。 わが国周辺の東シナ海、黄海でも68年、国連アジア極東経済委員会 (ECAFE)の調査が行われ、翌69年に結果が公表された。 両海の大陸棚には、「中東に匹敵する石油が埋蔵されている可能性がある。 特に尖閣諸島海域が最も有望」と報道されている。 そうなると、わが国の石油企業4社が「日中中間線」の日本側海域に 鉱区を設定し、台湾と韓国も鉱区を設けた。 ところが、南北の幅が400カイリに満たない東シナ海の中央で3カ国・ 地域の設定鉱区が重なり、対立が生じた。 ≪中国がつぶした日韓台開発≫ そこで、岸信介元首相の仲介により、領土問題を棚上げし 石油資源の開発に限定して、3カ国・地域による共同開発を 実施するということで合意が成立した。 だが、数カ月後の70年12月、突然、中国が新華社、 続いて人民日報の評論員論文の形で、「東シナ海は中国の海であり、 東シナ海の石油資源は中国の資源である」と主張し、 特に日本に対し、「日本はまた中国の資源を略奪するのか。 これは軍国主義ではないか」と激しく非難攻撃した。 この恫喝(どうかつ)で共同開発計画は吹っ飛んでしまう。 脅しは効果十分だった。 以後、日本は、東シナ海の日本側海域での中国の活動に対しても、 警告するだけで排除できないという状況が生まれている。 最近では、中国は奄美大島に近い海域での調査も行い、 日本側の中止警告を「ここは中国の海だ」と無視して 調査を続けるようになっている。 ここに至った背景には、さまざまな問題がある。 例えば、80年代に入り、トウ小平の「改革開放」が実際に滑り出すや、 「トウ小平は毛沢東と違う」と礼賛した人たちや、そうしないまでも、 経済成長を遂げれば中国は「普通の国になる」と期待する人たちが現れた。 そして、日本政府は気前よく、低利で長期の多額の政府開発援助 (ODA)を提供、中国は日本を上回る高度経済成長を遂げた。 ≪右手でビンタ、左手で要求≫ 筆者は50年前に大学院で中国研究を始めたとき、指導教授から、 「中国人は相手より優位に立ったとき、嵩(かさ)にかかってくることがある。 気をつけるように」、別の教授から「中国人は右手で人の横面を ひっぱたきながら左手を出して金や物を要求することがある。 よく覚えておくように」と言われたことがある。 その時はまさかと思ったが、今回、拘束した中国船船長を帰国させたところ、 中国側が「謝罪と賠償」を要求してきたあたりは、 まさに、2人の教授の指摘した通りではないか。 強大化してきた中国を無視することはもはやできない。 何か起きたら慌てふためいて対応するのではなく、 中国の過去の動向をよく分析して、対症療法でなく、 戦略的に対応する必要がある。(ひらまつ しげお)
2010年12月 7日 持ちつ持たれつ中朝「悪の枢軸」 産経新聞【正論】の中で筑波大学大学院教授・古田博司氏が 持ちつ持たれつ中朝「悪の枢軸」と題する論文を書いていますので掲載します。 どうしようもない中国と北朝鮮という二つの隣国は 日本にとっては脅威そのものである。 どうつきあっていくかは将来も頭の痛い問題ですが、 逃げる事も出来ず、どうにか旨くやっていかなければならないのだが、 相当難しい問題なのです。 というのは二つとも「ならず者国家」だからです。 暴力団が隣に住んでいるみたいなものです。 おちおち安心して眠れないというのが本当のところですね。 ではどうするか? 侵入されないように警備を厳重にして、 もし侵入してきてもすぐ撃退する。 侵入したら損をするというようにいつも思わせておく必要があるのです。 仲良くしようとしてもその時の気分で、ころころ変わるのが ならず者なのですから、理屈をどう並べてみても分からないのですから 気を許してはならないのです。 【以下論文内容】 北朝鮮が23日、韓国・延坪(ヨンピョン)島に砲撃を加え、 軍人2人と民間人2人を爆殺せしめた。 朝鮮戦争以来の物理的攻撃である。 暴挙だと、誰もが怒る。しかし、韓国は本格的な報復攻撃はできない。 中国漁船による海保巡視船への体当たり攻撃で露呈した 日本側対応と同じである。東アジアには核保有の均衡が存在しないからである。 ◆東アジアの平和の終わり 両核保有国は、平時を準戦時状態ととらえ、核を潜勢力として非保有国を脅す。 小規模戦闘も辞さない構えで、ボディーブローのように相手を撃ち、 しだいに無力化させていくのである。 これを「核抑止力攻撃」と仮に呼ぶ。 今年3月の韓国哨戒艦撃沈事件以来、こうした攻撃が常態化しつつある。 つまり、東アジアにおいては、平和はすでに終わったのである。 では、日韓にも核を持たせてしまえばよいではないか、 というのは米リアリストの学者たちだ。そうはいかない。 日本が軍事大国になることを何より恐れているのは米国である。 日本が自前で核を持つのは、ハワイまで米防衛線が後退したときでしかないと、 カーター元米政権で大統領補佐官(国家安全保障問題)を務めた ブレジンスキー氏は言ったことがある。 私は2007年3月16日付の本欄で、北が寧辺(ニョンビョン)の 核施設を手放さないことを予言しておいた。 寧辺の核、泰川の電力、亀城の機材、三位一体のこれ以上の立地はあり得ない。 09年5月8日付の本欄では、北が08年3月以来、 火力発電所を重油稼働に切り替え、水力発電所群が増設されている、 と書いた。これらはすべてウラン濃縮に利用された電力で、 重油と機材は中国の援助によるものだ。 11月22日に報じられた寧辺のウラン濃縮核施設は、その成果である。 国連安全保障理事会がいくら制裁を決議しようと、 中朝国境の物資の流れは止められない。 原油パイプラインも中国丹東市から北の新義州市まで伸びている。 制裁決議に中国が賛成したとしても、現実は同じなのだ。 中国は北を援助し、国境の町は中国製品であふれる。 平壌の女性は中国製の口紅で化粧し、元山の女性は中国製の中古自転車で 寒風を切って走る。 ◆助け、裏切り、恨まずの関係 中朝は助け合うべき地政学的位置にあり、歴史上もそうだった。 豊臣秀吉の朝鮮の役では明軍が南下したが、朝鮮の碧蹄館付近で 日本軍に撃破され、李朝を捨て和睦に入った。 満洲のヌルハチの時には、李朝が援軍を出したが、サルフの戦いで 満洲軍に降(くだ)り明を見限った。 朝鮮戦争時は、中国義勇軍が故金日成氏(後の国家主席)を助け、 手の空いた彼は政敵粛清にいそしんだ。「助け、裏切り、恨まず」の関係は 今日も続く。 この10月25日、中国支援軍朝鮮戦争参戦60周年記念大会が平壌で行われ、 金正日総書記は中国の軍事代表団と接見、翌26日には党中央委員会、 中央軍事委員会の幹部たちを引き連れて檜倉郡にある 中国人民支援軍烈士廟を訪れ、戦死した故毛沢東主席の息子、 故毛岸英氏の銅像に献花した。ここには09年10月、 莫大(ばくだい)な支援を手土産に温家宝首相も訪れ、 有事には安全保障支援を行う意思を示した。 北が2度目の核実験を行って、同年6月に国連安保理で 制裁決議が採択された直後のことである。 記念大会にも廟献花にも、10月10日の党創建65周年閲兵式で 初めて公式に姿を現した、金正日氏の三男、金正恩(ジョンウン) 党軍事委員会副委員長が同行している。 高麗人参で太らせ、故金日成似に整形させたというのは 韓国人一般の推測だが、そこまで外見的に追いつめられなければならないほど、 27歳といわれる同氏は若くて初(うぶ)な姿を労働新聞紙上にさらしていた。 ◆金正日登場時も破壊活動頻発 1980年代に金正日氏が後継者として登場したとき、北は国際的に さまざまな破壊工作を繰りかえし、国内的には氏が軍事的英才だと 煽(あお)っていた。今回もその路線だとすれば、今後、さらに大きな 破壊活動を企図しなければ3代目のカリスマ継承は難しかろう。 2000年代初め、まだ日朝航路があったころ、北の地方ツアーに参加した。 北は山がちで、共同農場を開こうにも平地が足らず、段々畑を耕していた。 しかし、インカ帝国よりも稚拙だった。 石垣を作らなかったために、山は雨で崩れ、土砂は川に流れ込んで中州を作った。これが毎年8月ごろ、北を襲い、同じ川筋で韓国に迷惑をかける洪水の正体である。 共同農場には崩れ落ちた岩がごろごろしていた。 北には鉱物資源が豊富に眠ると言う者がいる。だが、雨水の落盤で危険な 炭鉱からさらに下の層をどうやって掘るというのか。 南北統一後を見越して投資を煽る者もいる。 だが、あのように荒廃した大地を整備するには数兆ドルもかかることだろう。 要するに、北は中国のたかり国家となり、中国は核抑止力攻撃の パートナーとして北朝鮮を利用しつつ、膨張政策を続けることだろう。 独裁と非人権を共通価値とする彼らが日米からの安全保障を 武力で引き出そうとする限り、この性悪説の世界に終わりはない。 (ふるた ひろし)
2010年12月 6日 支持率100%でも辞めてください フリーライター宮島理氏が論文を発表しています。 宮島氏は以前も掲載しましたが、保守の正統派を任じている 常識派なのです。 彼の論文を読みながらつくづく民主党には人材がいないと分かりました。 すなわち政治家がいないのです。 選挙目当ての政治屋ばかりで左巻きのどうしようもない集団なのです。 この様な政党に政権をゆだねたのはつくづく誤りだったと 国民は反省しているでしょう。 軌道修正を迅速にしなければこの国は滅ぶでしょう。 新しい憂国の士が政界へ多数参入してくれることを期待します。 櫻井まり子氏や田母神氏など是非政治の世界に入って来て いただきたいものです。 菅首相が内閣支持率を無視して続投する姿勢を見せている。 内閣支持率を基本的に無視するという姿勢自体には同調できる。 ただし、「内閣支持率が1%だろうが100%だろうが関係なく、 無能な菅政権は即刻退陣するべきだ」というのが正しい姿勢である。 「菅総理大臣が鳩山前総理と会談し、『内閣支持率が1%になっても辞めない』 と述べ、政権の維持に強い決意を示しました」(TBS ) 私も従来から「内閣は支持率ではなく総選挙の結果で支えられるべきだ」 と考えてきたので、これが「普通の内閣」であれば菅首相の姿勢に同調できる。 総選挙の結果はそれほど重いものなのであって、内閣支持率や地方選、 国の補選、参院選などによって容易に揺らぐようなものではない。 有権者は非常に重い覚悟で判断し、投票所に向かい、政権を選択する。 民主党のバラマキ・既得権護持政策を明確に支持した有権者は、 2009年の総選挙で民主党に投票した。 一方、民主党のバラマキ・既得権護持政策を以前から改革派として ずっと批判していた私は、民主党に投票しなかった(投票する理由が 1つもなかった)。「クリーン」「フレッシュ」「オープン」といった フワフワした理由ではなく、きっちりとした政治信条や 政策選考に従って人々は行動している。 「ダメだったらすぐに辞めてもらえばいいや」といった軽々しい気持ちで 投票しているバカな有権者は存在しない。 普通であれば、総選挙の結果は最大で4年間尊重されるべきだ。 しかし、菅政権は「普通ではない無能内閣」なので、 ここは非常事態として菅政権打倒を急がなければならない。 菅政権が打倒されるべきなのは、「内閣支持率が下がっているから」 ではなく、「菅政権が普通ならありえないほど無能だから」である。 総選挙で民主党に投票した有権者も、まさかここまで無能な内閣が 登場するとは予測していなかっただろう。 予測していなかった事態が判明した以上、有権者は「普通の内閣」への 対応ではなく、「内閣支持率が1%だろうが100%だろうが関係なく、 無能な菅政権は即刻退陣するべきだ」という姿勢で、 菅政権に厳しく当たっていく義務が発生している。 有権者の深い失望と危機感、そして菅政権への厳しい批判の 重みをまったく理解せず、菅首相は「内閣支持率の乱高下」くらいにしか 感じていないものと思われる。 それは、他の「無能四人組」も同じようだ。 「前原誠司外相は27日、横浜市で開かれた民主党議員の会合であいさつし、 仙谷由人官房長官らの問責決議を受けた自民党などの審議拒否の動きを 念頭に『どこかの党は審議拒否だと言っているが、 国会に出てこなければ税金泥棒だ』と牽制した」(産経新聞 ) 「民主党の岡田克也幹事長は27日、(略)三重県川越町での記者会見で、 問責決議を受けた仙谷由人官房長官と馬淵澄夫国土交通相が辞任しない場合に 野党が審議拒否する構えを見せていることを踏まえ 『審議拒否で国会招致を不可能にしているのは野党だ』と強調した」 (産経新聞 ) 菅政権の中でもとりわけ菅・仙谷・前原・岡田の「無能四人組」は、 自分たちのプライドにしか興味がない。 だから、国益も考えずに威勢のいいことだけを言い、 尖閣事件で「敗戦」した。 また、国会でも有権者の方をまったく向かず、目先の自民党との ディベート的優位にのみとらわれて「ジミンガー」を繰り返す。 「無能四人組」が「無能」なのは、頭脳やスキルの問題というよりも、 「過信」や「自己保身」ばかりで周りが見えていないことが大きい。 つまり、交渉能力や学習能力が決定的に欠如しているので、 問題を解決することができない。 下手をすると、何が問題なのかという認識すらできていない。 「悪いのは内閣を支持しない愚民であり、国会で議論を挑んでくる 自民である」というように、「失敗」は常に外部の問題として処理される。 そして、「無能四人組」は常に「正義」ということにされる。 こういった無謬性は、かつて官僚の悪癖として強く批判されてきたけれども、 「脱官僚」の菅政権では、政治家が無謬性の罠に落ちてしまった。 彼らの言う「政治主導」とは、「政治家の官僚化」に他ならない。 前原氏は「経験がなかったので頭をぶつけている所もあるが、 もう少し時間をもらわないと効果は出ない。 ぜひ信じてほしい」ということも言っているようだ。 経験のなさではなく、未経験の出来事に対処できる能力が欠如していることが 問題なのに、相変わらず前原氏はわかっていない。 そもそも、民主党があれだけ言っていた「政権交代準備完了」という 威勢のいいスローガンはどこへ行ってしまったのか。 「もう少し時間をもらわないと」とか「信じてほしい」と言う前に、 「政権交代の準備ができていませんでした。 即刻退陣します」と言うのがスジだろう。 「政権交代準備完了」という言葉を信じて投票したら、 それがとんでもない詐欺師で、さらに一度ダマした人たちを 相手に詐欺を重ねようとしている。 民主党に投票した有権者には心底同情するとともに、 是非有権者としての怒りを表明していただきたいと思う。 【注(誤解を受けないようにしばらく関連記事に掲示しておく)】 私が菅政権打倒を言っているのは、自分自身の政治信条や政策選好と 合わないからではない。 もしそうだとしたら、総選挙の結果を受け入れられない単なる 駄々っ子である。 菅政権は、政治信条や政策選好の違いといったレベル以前に、 日本の政界でも最底辺以下の無能者しか揃っていないということが 判明したからこそ、非常事態的に菅政権を打倒するべきと考えている。 菅政権を「無能」という言葉で表現しているのは、 菅・仙谷・前原・岡田の「無能四人組」 の外交が 「弱腰ですらない、ただの無能」であることを明確に伝えるためだ。 「無能外交」と「責任ある弱腰外交」の決定的な違いは 「現実主義者ぶる無能者を排除せよ」 をご覧いただきたい。 「無能」な菅政権の代わりは政界にいくらでもいるし、 「コロコロと変えるべきではない」という原則は、 普通の政権に対して当てはめるものであって、無能と判明した政権に 適用するのは悪しき惰性だ。 無能政権を放置すれば、必ずや子や孫の代から恨まれることになる。 私の立場、考えについては、「菅政権に『戦後処理』をさせるな」 もご覧いただきたい。
2010年12月3日 尖閣映像とハル・ノートの教訓 東京大学名誉教授・小堀桂一郎氏が興味深い論文を書いている。 民主党政権が日本の進路を誤る出来事を繰り返した事である。 先の大戦で日本が追い詰められながら日本解体へ向けた助走をなした 当時の政治家と今の民主党政権をダブらせ、いかに国民へ情報の公開が 大事なことを説いているのです。 民主党諸君は是非この論文を読まなければならないのです。 隠す事を政権の維持に使っている民主党政権はいかに危険であるかも 諭しているのです。 民主党政権は再び日本を誤った道に導くでしょう。 恐ろしい政権が日本を牛耳っているのです。 国民はこの事を気が付かなければなりません。 日本のマスコミは大政翼賛会になって批判をしません。 この事も国民を騙す手段になっているのです。 私達は日本の将来を明るくするために保守政党の復活を熱望します。 以下、小堀氏の論文です。 沖縄の尖閣諸島沖で発生し、日本側の完敗を以って終った 中国漁船衝突事件について、論評・提言の類は殆(ほとんど)出尽くし、 今は敗北といふ結末の事後処理の段階に入っている様(よう)に見える。 処理の焦点の一つは、中国漁船が海上保安庁の巡視船に 衝突してきた現場のビデオ映像が11月上旬、巷間に流出した出来事の意味と、 その責任問題である。 この新事態のために、事件の最大の論点である、中国の国家意志を 体して行動した疑いの濃い漁船(むしろ工作船か)による我が国の 主権侵害といふ大問題が、作為的に影を薄められ、 乃至(ないし)は問題の掏(す)り替えが生じている。 これは甚(はなはだ)危うい事である。 この事件の処理をめぐって、筆者は当初から、あのビデオは 政府の方こそが進んで国民に向けて公開すべきだつたとの 強い意見を抱いていたので、以下、その根拠について書く。 ≪ビデオ非公開で69年前を想起≫ 9月8日に石垣海上保安部が逮捕した中国人船長を、 那覇地検が24日になって外交的配慮(といふ越権行為)を以て釈放し、 仙谷由人官房長官がこの処置を政府として了承すると言明した時点で、 そのビデオは船長の裁判に提出さるべき証拠資料としての意味を失い、 従って、機密性も失つたと見倣される。 さうである以上、政府は国益の見地を第一に重視し、 ビデオに映った、全場面の公開を決断して事件の真相を国民に 知らしめるべきだった。 その上で更(さら)に、自然の経過として同じ映像が国際社会の広く知る所となり、事件の責任の所在については国際社会がその判断を下す、 といふ方向に事態を持ってゆくべきであつた。この方策は今からでも遅くはない。やればできる事である。 この方式による外交的解決を我々(われわれ)に示唆しているのは、 我々が残念ながら生かすことなくして終った或る歴史の教訓である。 今から69年前の同じ11月、我が政府は野村吉三郎、来栖三郎といふ 2人の大使を米国に派遣し、泥沼に陥っている日支事変解決のための日米交渉に当たらせていた。交渉は4月半ばに始まり、7箇月を経過しながら 妥結の曙光(しょこう)は見えて来なかつた。 戦争回避を至上命令としての日本側の度重ねての譲歩的妥協案に対し、 米国側は日本国の苦しい内情を完全に読み抜いての上で、 時間稼ぎの冷たいあしらいを続けていた。 そして11月26日、その傲岸(ごうがん)酷薄によって史上に悪名高いハル・ノートを突きつけてきた。 ≪実質、宣戦布告の外交文書≫ これは、国務長官ハルの名を帯びてはいるが、実は米国務省に喰ひ込んで いたソ連の情報工作員が起草したといふ事実が後年、暴露されたことで、 二重に有名になった外交文書である。 この文書の怪奇な性格についての穿鑿(せんさく)は今は措(お)くが、 その文面を見れば、これは明らかに交渉打ち切りの最後通牒であり、 事実上の宣戦布告だった。 戦争を以っての脅迫を含んでいない、外交交渉上の要求といふ 外見を有しているだけに、一層、狡猾(こうかつ)悪質な挑戦状だった。 この文書を受け取った、時の外務大臣、東郷茂徳は、 回想記『時代の一面』の中で、その時受けた衝撃を 〈自分は目も暗むばかりの失望に撃たれた〉と、以下綿々と断腸の思いを 綴っており、これは読む者をして深甚の同情を覚えさせる悲痛な 感慨の吐露である。 筆者も亦(また)、外相としての東郷の開戦前夜及び 終戦工作での尽瘁(じんすい)と苦衷に対する敬意、 そして戦後の悲運への深い同情を持ち続けている者であるが、 それでも猶(なお)、彼のこの時の政治判断に一抹(いちまつ)の不 審と遺憾の念を禁じ得ない。 ≪公表せず米開戦意志を隠蔽≫ 東郷は、ハル・ノートが既に戦争を意味する事を明白に認識したにも拘らず、 〈交渉は御前会議で正式に決定する迄(まで)は外務省側で 打ち切ることはできないので、出先に対しても交渉決裂の印象を 与へぬようにとの注意を与へた〉と書いて、その章を締め括(くく)つている。 是によってみれば、東郷はハル・ノートの内容を国民に向けて 公表するといつた発想を全く有していなかつた。 その内的動機は敢へて臆測しないが、これで結果として、 米国の断乎たる開戦意志の恐ろしさを国民の眼から隠蔽(いんへい) することになってしまった。 もしこの時、外務省がハル・ノートのせめて摘要(てきよう)でも 国民に公表していたら、国民の激昂(げきこう)は収拾・鎮静の限度を 超えていたかもしれないが、然(しか)し、 当時の日本は輿論(よろん)のみで開戦の時期を早める様な 政治形態にあつたわけではない。 より重要な事として、国民が知り得た日米交渉決裂の真相は 外国の通信網経由で海外に溢(あふ)れ出、広く国際社会の知る所となり、 日米戦争は実は、真珠湾の奇襲を以て始まったのではない、 ハル・ノートの挑発こそが日米開戦の号砲だったのだ、 との認識を世界に広め得たであらう。 その結果として、大東亜戦争の原因は全(すべ)て 日本の侵略的意図にあるといつた世界の誤認を予防する効果は 十分にあつたはずである。(こぼり けいいちろう)
2010年12月2 日 外交も自治も独立自尊が極意だ 産経新聞の正論に面白い論文があった。 日本人の単純なものの考え方を示すものであるが、 これは何処から来たのであろうか? 政治思考については色々言われているが、中国と比べると 確かに単純なのは分かります。 その単純な思考が何処から来るのかと言えば侵略された事がない 国民だからではないでしょうか? 中国は近世から現代に掛けて陸続きのため幾多の外国から侵略を受け 国民が物の考え方を複雑にしているのと、多民族国家のため 他人を信用しなくなってしまったからなのではないだろうか? 日本人の多くは性善説を取る人間が多いが、 中国は性悪説を取るタイプの様だ。 人は信用ならぬという考え方が基本にあるように思われる。 それも侵略された経験から身に付けた様に思われるのです。 一言でいえば中国は信用してはならないという事です。 言っている事と、する事が違うと言う事です。 この様な国と親交を結ぶと痛い目に遭いますね。 外交とはこういう事が横行している事を考えながら 猜疑心で色眼鏡をかけてみなければならないのです。 どうもこの点が未熟な民主党では無理みたいです。 単純なものの考え方しかできない民主党諸君は子供みたい思えますね。 理想論を振りかざし、単純な考え方しかできない政党が 政権運営しているのだから、中国から子ども扱いされ、 アメリカからうそつき呼ばわりされ、アジア諸国から失望されるのです。 自民党政権下ではこうもひどくはなかったと思いません? 以下論文の内容を紹介します。 ■ 正論 1978年4月、尖閣諸島に100隻近い中国漁船が接近し、 日本の領海を侵犯して操業を行うという事件が発生した。 その半年後の10月、日中平和友好条約の批准書交換のため来日した トウ小平副首相(当時)が、「尖閣問題に触れない、一時棚上げするしかない」と 発言して緊張関係をひとまず緩めた。 次の世代が解決の智恵を見つけるだろうというのである。 が、この期待は崩れ去った。 今回の尖閣諸島をめぐる一連の事態で、いくつかのことをわれわれは学んだ。 まず、正義を主張するだけでは解決は得られず、最悪の場合はどちらか、 あるいは双方の「亡び」を招く危険性があること。 かといって、自らの主張を曲げると正義が歪(ゆが)むことがある。 その両極端の間のバランスを、綱渡り芸人のような技術で 取らねばならないということである。 また、古来、中国は近隣諸国から朝貢を受ける「中華」の国だったため、 外国と対等に付き合うという外交の経験に乏しい。 他面、日本人の多くは、劣等感と優越感の入り交じった中国観を抱き続け、 畏怖(いふ)か軽侮かの両極端に出ることが多かった。 「中国脅威論」を安易に持ち出したり、日本が卑屈になって 中国を尊大にさせたりしてはならないということだ。 一方、外交が世論への過度な配慮や国民への一時的な迎合に 支配されてはならないことにも留意しなければならない。 世論は得てして断定的で攻撃的な対外姿勢に喝采(かっさい)を送る。 しかし、外交姿勢の適否の判断は問題の性格による。 大胆でなければならない場合もあれば、逆に、不決定にしばらく耐える勇気が 必要なこともある。 そして、グローバリゼーションと経済統合の時代にあっても、 国際関係の基本的構成要因は国民国家であるという伝統的な 外交観を簡単に捨て去るべきではないこと、矮小(わいしょう)な 利己主義から「啓発された自己利益」への転換はさほど容易ではないことを 改めて認識させられたのである。 ≪日中、山アラシにも似て≫ 日本と中国という経済規模で世界第2位と第3位の大国が、 今や「山アラシのジレンマ」(ショウペンハウエル)のような 状態に陥っている。 2匹の山アラシが、寒さをしのぐために抱き合って暖め合おうとすると、 互いのトゲで傷つけあう。 さりとて離れると、寒くて耐えられない。 2匹は互いに傷つけずに暖め合える、「適当な距離」を 探し出さねばならないという譬(たと)えだ。 北方領土問題の悪化からもわれわれは学ばなければならない。 それは「言葉の一撃」ということだろう。 昨年5月の参院予算委員会での麻生太郎元首相の 「ロシアによる不法占拠は極めて遺憾」との発言は、ロシア側を無用に刺激し、 硬化させた。 「不法占拠」というひとつの言葉が、交渉の見通しを打ち砕いたのである。 「ムチの一打は傷をつくらん、舌の一打は骨を砕かん」という言葉を 証明したようなものである。 麻生前首相の発言がどれほどの考えをもってなされたのかは分からない。 しかし、「黒白」をはっきりさせすぎて、相手をコーナーに追い詰めるような 発言を、国内世論は「よくぞ言った」と歓迎した。 麻生元首相が「世論」を意識していたのは事実であろう。 ≪中央の権威に恭順過ぎた地方≫ 「世論」や「権威」に引きずられやすいのは、福澤諭吉の言葉を借りれば、 「独立自尊」の精神に欠けるということであろう。 一身独立の精神の欠如は、日本の地方自治が、明治以降、 目ぼしい力を発揮してこなかったこと、われわれが中央の「権威」に 恭順過ぎることと関係している。 日本で地方分権の議論というと、国庫補助負担金の廃止や削減、 税財源の移譲、地方交付税の一体的見直しなど、 地方自治体に経済的な自立性を与えることが中心になる。 だが、財政面だけでなく、地方において独立自尊の人材が 定着しなければ地方自治は確立しない。 各人が地域に生きるひとりの人間として自立した存在となることが 地方自治の大前提なのである。 中央に理由もなくひきつけられないで地方に定着し、 地方政治をよくしようという気概を持つ人間が増えない限り、 財源を地方にシフトしたところで真の地方自治は生まれない。 ◆130年前の福沢翁の慧眼 一見、かけ離れたようにみえる「外交」と「地方自治」双方に 力を与えるのは、中央になびく「権威主義」とは無縁の自信と 独立心なのである。 言い換えれば、独立自尊の精神が希薄なことと、日本の地方分権の 未成熟、外交力不足は、すべて同じ原因に発しているのだ。 外交ベタというのは結局のところ、自主独立の精神に基づく 地方自治を求める熱意が不十分なことの帰結なのである。 この点をすでに福澤諭吉は『分権論』(明治10年)の中で、 「地方分権は外国交際の調練と云ふも可なり」と喝破している。 われわれ国民が独立心を持ち、言葉豊かに語れるようにならないと、 国政は言うまでもなく、地方自治も外交もうまく進まないのである。 (いのき たけのり)
非礼の極み 民主・中井前国家公安委員長が秋篠宮ご夫妻に 2010年12月 1日 八方塞がり 補正予算が衆院通過したが菅政権が 「八方塞がり」であることには 変わりはない。 懸案事項は先送りばかりで、解決しようとする意欲もないみたいです。 また内政ばかりではなく、外交もまた渋滞したままで、 この分だと諸外国からは相手にされなくなりますね。 その現象が尖閣問題や、北方領土問題で噴出し、 今までの自民党政権の積み重ねた努力が一瞬にして 泡と消えてしまったのでした。 この責任は重いですよ! いまからロシアといかに交渉するべきか? 中国の覇権をどう抑えるか? 難問だらけになりました。 おおもとは普天間基地移転の問題から民主党がいい加減な政策を取ったために、 米国からは距離を置かれ、それを見透かした中国からは領土侵犯を侵され、 ロシアからは北方領土はロシアの物であると言われ、 この外交音痴がまいた種がいろんなところからほころび始めたのでした。 もうこんな内閣は要りません。 国民は倒閣運動に立ち上がるべきです。 マスコミは当てになりません。 マスコミを動かしているのは全共闘がゲバ棒を奮っていた時の学生が マスコミの中枢に陣取っているからです。 国民は自らの手で倒閣運動を起こさなければならないのです。 統一地方選挙では民主党を排除しましょう。 内閣を追い詰め衆議院を解散させましょう。 総選挙を勝ち取りましょう。 衆議院選挙で民主党候補を落選させましょう。 以下は産経新聞の主張欄です。参考にして下さい。
【主張】 総額5兆円規模の経済対策を盛り込んだ補正予算案は衆院を通過したが、 菅直人政権の行き詰まりは目を覆うばかりである。 内政外交の懸案に対し、菅首相が先送りの手法をとっていることが 「八方塞(ふさ)がり」を招いているといえる。 自民党は15日、仙谷由人官房長官と馬淵澄夫国土交通相に対する 不信任案を提出した。 尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件やビデオ流出問題への政府対応が問題であり、 責任は重大だと指摘した。 公明、共産、みんな、たちあがれ日本が同調した。 与党が否決したものの、このことが持つ意味は重い。 野党が多数の参院で同様の問責決議案が出されれば、 可決の可能性があるからだ。 内閣の要である仙谷氏への問責が可決されれば国会は空転し、 政権は危うくなりかねない。 各種世論調査で内閣支持率が危険水域といわれる3割を切ってきた。 首相はアジア太平洋経済協力会議(APEC)終了後、 「私が議長を務めた首脳会議が成功裏に終了した」と述べたが、 どれだけの国民がうなずいただろうか。 この2カ月余り、領海侵犯した中国人船長を釈放し、 海上保安庁の巡視船に体当たりした中国漁船のビデオの公開を拒み続けた。 日中首脳会談を行うことを最優先した判断だろうが、 尖閣諸島に関する日本の主権が危うい状況であることは何も変わっていない。 米軍普天間飛行場移設についても、首相は月末の沖縄県知事選後に 沖縄を訪問する意向を示しているが、日米合意に基づく辺野古移設案を 実現する努力はほとんどみせていない。 オバマ米大統領とは、来春の首相訪米時に日米安保体制強化のために 共同声明を発表することを約束したが、問題を先送りしているだけでは 展望は開けない。 加えて、政治とカネの問題をめぐる小沢一郎元代表の国会招致にも 応じようとしない。 補正予算や財政再建、消費税増税をめぐる野党との政策協議が 進展しないのも無理はない。 補正への賛成を唱えていた公明党は反対に回った。 内外ともに危機を抱える日本のかじ取りを民主党が担えない状況は、 もはやこれ以上放置できない段階に入ったといえる。 首相がこの行き詰まりをどう打開するか。 問題を放置する限り、現政権継続の是非を国民に問い直すことが必要だろう。
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