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2011年10月26日TPP論議にみる主体性の欠落 民主党はTPP論議に参加するのやら、しないのやらさっぱり分からない。 単に議論を提供して、傍観しているようなのです。決断ができないでいるからです。 それなら自民党ならどうするだろう? 自民党が決断できるとも思われない。 それは農業団体が反対を表明しているからだ。 そもそも農業を規模拡大して競争力をつける方向で政策を推進していたのを、 民主党が農民票欲しさに小規模農家にも補助金を配る政策をとったため、 規模拡大にストップがかかり、農家の競争力がまたまた低下し、 保護政策を継続しなければならないようにしているのです。 この点に誤りがあると素直に認め、政策転換をしなければならないのだが、 今頃規模拡大が必要と言い出しているのだから、支離滅裂というか、 甘い言葉で農家をだますことまでは成功したが、 それからの展望がないから、政策的に行き詰まっているのです。 民主党政権になってからいいことは何もないのが実情です。 このことをマスコミは素直に認めて、批判すべきなのにこれまた 腰砕けなのです。 それはマスコミが民主党政権誕生の為に尽力を尽くしたため 今更批判もできないのでしょう。マスコミもダメになりました。 【正論】 東洋学園大学教授・櫻田淳 現下、野田佳彦内閣が迫られている政策判断の一つが、 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉への参加の是非である。 これは、復興増税の扱いに並ぶ難題であるけれども、 それとは決して関連のない政策課題ではない。そもそも、 財政、金融、産業振興、民生安定といった一国の「富」に関わる施策は、 何を趣旨としているのか。野田首相に問われているのは、 そのことに相対する感性であろう。 ≪あのドゴールも「経済」重視≫ 振り返れば、1958年6月、シャルル・ドゴールが政界に復帰した折、 彼が迫られたのは、アルジェリア植民地の独立に絡む危機に加えて、 財政破綻の危機への対応であった。往時のフランス財政は、 対外債務と歳入欠陥が重なり破綻寸前の状態にあった。 後日、ドゴールが下した独自の核武装の断行やNATO (北大西洋条約機構)の軍事部門からの脱退といった政策判断は、 「フランスの偉大さ」への彼の志向を強烈に印象付けたけれども、 そうした「フランスの偉大さ」への志向は、 健全な財政と盤石な経済によって担保されなければならなかった。 実際、ドゴールが自らの執政に当たって第一の比重を置いたのは、 自らの「武官」としての個性や経歴の印象とは裏腹に、「経済」に 絡む政策領域への対応であった。財政再建と経済復興は、 ドゴールの語られざる業績の一つである。 ドゴールが「経済」の文脈で展開したのは具体的には、 農業、自動車、エレクトロニクス、エネルギー、 航空宇宙開発といった様々な産業領域において、 フランスの「自律性」を担保するに足る強さを実現することであった。 たとえば、現在、フランス農業の「競争力」の高さは、敢(あ)えて 指摘するまでもない。 しかし、それは、第五共和制下のドゴール執政期に断行された諸々の 施策の所産であった。 ≪フランス農業の競争力強める≫ ドゴールは、往時のフランス農家の4分の3が零細にして 採算の取れない状態であったことを踏まえて、 産業としての農業の「競争力」の確保に乗り出した。 それは、農地の規模拡大に始まり、高齢農民の引退と世代交代の促進、 年金制度の整備、流通機構の整備、農業教育の拡充と技術の開発に至る 広範なものであった。 しかも、ドゴールは、その執政当初の5年の間に農業予算を 3倍強に増やした。農家に「補償」や「救済」を与えるのではなく、 「富国」の目的に沿う産業として農業を成り立たせるというのが、 ドゴールの施策の趣旨であった。 これに加えて、ドゴールが第二次世界大戦終結直後に 共和国臨時政府首班として創設したCEA(フランス原子力庁)は、 十数年後の原発本格稼働に結実し、現在に至る原子力推進政策方針の 原点になった。これもまた、エネルギー需給における 「自律性」を確保しようというドゴールの論理を反映したものであった。 ドゴールは、こうした施策を抱き合わせにして、「市場」の確保を目的として、 「欧州統合」を推進した。「欧州統合」の推進を軸にして、 自由貿易体制の論理に乗ることは、農業を含めてフランス産業の強さを 担保する対応であったのである。 そして、それこそは、法人や個人所得、奢侈(しゃし)品、酒、 たばこを対象とした増税や公職者給与の引き上げ凍結、 社会保障支出の削減といった、「入るを量りて出ずるを為(な)す」 趣旨の諸々の施策、さらには、フランという通貨の価値の防衛に併せて、 財政破綻の回避と経済成長の実現に寄与する政策対応であった。 ≪土俵で闘うには稽古も必要≫ 目下、TPP交渉参加の是非に絡む議論が、 とりわけ民主党内で沸騰している。 この議論に関して留意すべきは、それが賛成と反対の何れの趣旨であれ、 自由貿易体制という「世界を相手にした土俵」を前にして、 「兎(と)に角(かく)、土俵に上がらなければならない」 という議論も、「土俵に上がれば敗ける人々が出て来る。 故に、上がるべきではない」という議論も、有益ではないということである。 TPP交渉参加を支持する人々は、それが自由貿易体制の 「果実」を無条件にもたらすものだという安易な期待を 抱いてはならないであろう。「土俵」で闘うにも、相応の稽古の 蓄積や態勢の裏付けが要るのである。 片や、TPP交渉参加に反対する人々は、それが産業としての農業の 「競争力」を向上させるための思考を伴っているかを自問しなければなるまい。 「土俵で闘えない状態」を放置することは、 農業を含む産業振興の施策の趣旨とは相容(あいい)れないのである。 ドゴールは、一国の「富」に関わる施策の趣旨は、 国民各層に「安逸な生活」を提供するのではなく、国家の 「威信」や「声望」を実現することにあると語った。 TPP交渉参加に絡む議論に際しても、こうしたドゴールの認識は、 参照するに値しよう。(さくらだ じゅん)
2011年10月22日 円最高値更新 〜
円急騰を招いた間抜けな「円高への総合的対応策」 近藤 駿介氏のブログだがドジョウ内閣だけでなく、 民主党そのものが勉強不足なのか、頭からその気がないのだろう。 経済問題は民主党では苦手なのでしょう。 それは左派の理論構築に一生懸命で、言う事は素晴らしいが中身がない、 いつものパターンなのです。 円高対策にしても安住氏が言っていることが、 支離滅裂で何をしているのだろう? ブログ
「インパクトの大きい政策を実施することが重要」。 「駅前内閣」が閣議で「円高への総合的対応策」を決定した21日、 それをあざ笑う様にNY外国為替市場で円がドルに対し急上昇、 75円78銭と8月19日に付けた過去最高値(75円95銭)を 約2カ月ぶりに更新し、戦後最高値を記録した。 「駅前総理」の「迅速に産業空洞化の回避、 景気の下振れリスクへの対応を行いたい」との決意を示した 「円高への総合的対応策」は、為替市場に「円高インパクトの 大きい政策」と受け止められたようだ。 それも当然である。その内容が前回同様「筋悪」であることは 言うに及ばず、「円高」に対する「駅前総理」の思考回路は根本的に 間違っているのだから。 「駅前総理」は閣議に先立つ経済情勢に関する検討会合で、 「急速な円高への対応は、内閣にとって震災からの復興と同じく 最重要課題」と明言。円高対応策で「迅速に産業空洞化の回避、 景気の下振れリスクへの対応を行いたい」との決意も示したことが 報じられている。 「駅前総理」はこうした強い「決意」を示すことで 「リーダーシップ」を演出したかったのかもしれないが、 そもそも「(円高対応策で)迅速に産業空洞化の回避、 景気の下振れリスクへの対応を行いたい」という「決意」は、 やるべきことを間違えた間抜けなもの。 今「駅前内閣」が迅速にやらなければならないことは、 「迅速に産業空洞化の回避、景気の下振れリスクへの対応」ではなく、 「円高阻止」である。「産業空洞化」と「景気下振れリスク」の原因である 「円高阻止」に手を付けず、円高を放置した状態で「円高への総合的対応策」を 打ち出すなど、まっとうな思考回路を持ち合わせていれば有り得ない話。 だいたい、発生を防ぎようの無い「天災」による被害と、 政策対応によって防げる可能性のある「円高」の悪影響を 同列に扱っている時点で、政治家として失格である。 「論理なき駅前首相擁護派」である日本経済新聞は、 円が最高値を更新したことについて「外為市場では、 (欧州)首脳会議の結果を見極めたいとの思惑から商いが薄い中、 ヘッジファンドなど投機筋の買いが入り、円高を加速させたとの 見方も出ている」と、相も変わらず生産性のない「ヘッジファンド悪玉論」に 基づいた報道を行っている。 さらには「対外債権国で安全資産とされる円への資金流入が進んだ」と お得意の「円安全資産論」を尤もらしく振りかざしている。しかし、 日本経済新聞の定義に基づく「安全資産論」では 21日の円最高値更新は説明出来ない。何故ならば、 欧米の株式市場が大きく上昇しており、少なくとも円が 最高値を更新した時間帯においては、「安全資産回避」が 見られていないからだ。例え短期的な動きだとしても、 株式市場でリスクテイクの動きが見える中で、為替市場だけ 「安全資産回避」が起きるという説明は、説得力のないものだ。 これに対してBloombergでは、今回の円最高値更新について、 「米金融当局による一段の緩和がドル相場を押し下げるとの見方が背景にある」と 報じている。これは、FRBのタルーロ理事が、20日にコロンビア大学で 行われたコンファレンスで、「FRBは脆弱な景気回復や住宅セクターを 支えるため、モーゲージ担保証券(MBS)の大規模な追加買い入れを 選択肢の最優先リストに戻すべきだ」との考えを示したことを意識したもの。 年内の追加的金融緩和(QE3)実施は現実的には考え難い状況だが、 FRB が選択肢の一つとしてQE3を持ち続けていることを金融市場に 意識させるには十分なものである。 翻って日本の政策当局。中央銀行は「ハイパワードマネーの対GDP比」 などという意味不明の指標を掲げて追加的量的緩和を頑なに拒み、 「素人財務相」は増税による財政再建という「でっちあげ国際公約」を ぶち上げることで「円に国民の連帯保証を付ける」という愚行に走り、 「駅前総理」は円高を前提にした「円高への総合的対応策」を打ち出しと、 政府・日銀が言葉とは裏腹に、総力を挙げて円高圧力を高めるために 「断固たる措置」を取り続けている印象を金融市場に植え続けている。 「駅前内閣」は、国費が約2兆円、事業規模が約23兆6000億円の今回の 「円高への総合的対応策」によって、「実質GDPの0.5%程度の 押し上げと30万人程度の雇用創出・下支えの効果」を期待しているようだ。 しかし、対応すべき相手を根本的に間違えているうえ、「断固たる 円高誘導政策」を取り続けるなかで、このような効果が出るはずが無い。 「駅前内閣」が間断なく打ち出している「断固たる円高誘導政策」で 懸念されることは、「実質GDPの0.5%程度の押し下げと、 30万人程度の雇用喪失」である。 「駅前演説」が得意だと自負している「駅前総理」には、「円高」と 「増税」で日本経済が崩壊する前に、「円最高値更新」という勲章を持って、 一日でも早く表舞台から降りて、最も輝ける場所である「駅前」に 戻って頂きたいものだ。
2011年10月21日 FXで対中の国家意思を鮮明に 日本の防衛問題は深刻だ。 日本の知識人の家に名はお花畑平和主義者がたくさんいる。 彼らは中国や北朝鮮に対してきわめて友好的なのだ。 彼らが攻めてくるなんて頭にないのです。 だから軍備増強に反対するし、そんな金があったら 福祉に回せというのです。 日本が自己防衛できなくなったら、確実に中国は尖閣列島を 取りに来るでしょう。 それは中国の覇権主義が示す通り、いまも中国領だと言っているのだから、 正当性をつけて占領するでしょう。 そこに資源があろうがなかろうが関係はないのです。 彼らの論理はむかしむかし中国の地図にその島が 記載されていたから中国の物と主張するのです。 韓国も同じですね。勝手に李承晩ラインとやらを 海図の上に引きその範囲は韓国領と決めたのです。 だから竹島を占領しても当然の権利と言っているのです。 本当にめちゃくちゃですが、それが外交なのです。 その外交がまるで駄目な民主党内閣が今の日本を 牛耳っているのだから大多数の国民は心配するのです。 民主党に騙されて投票した結果がこのざまなのだが、 総選挙まであと2年弱あるのだからそのあいだはじっと 我慢するしかないのだが、そのうちに大打撃が襲ってくるようで 不安でたまらないですね。 震災に対する方法を見ているとわかるが、ふらふらコロコロで 何をしているのやら、さっぱりわからず。決断は遅いし、 責任はとらないし、役人は使えないし、 やることなすこと不安だらけなのです。 こんなフラストレーションがたまる時代も珍しいですね。 日本の経済がめちゃめちゃになり、そのことを どのマスコミも追及しない。 こんなおかしい世の中も珍しい。 【正論】 拓殖大学大学院教授・森本敏 日本の防衛力を構成する主要装備品は、主として 国内防衛産業で開発され、生産されている。 その装備品の整備や技術革新も多くは防衛産業に依存している。 防衛産業の貢献と努力がなければ国家の防衛が成り立たないのである。 戦闘機開発の長期構想にらめ ところが、防衛費が毎年、削減されて装備品の調達が減少するに連れ、 防衛産業やその下請企業は兵器産業から手を引き、技術者は職場を離れたり 倒産の憂き目にあったりしている。日本はこのままだと、 革新的な世界の兵器産業技術に全く追随できなくなる。 日本の戦闘機も、1950年代から半世紀にわたり、 防衛産業によって生産(ライセンス生産を含む)されてきた。 それが、先月、F2戦闘機の生産が終了したことで今後、 戦闘機生産の空白状態が生まれかねない状況となった。 F4の後継機となる日本の次期主力戦闘機(FX)の選定は、 そうした中で進められている。だからこそ、目下、 政府部内で真剣かつ厳正に検討されている結果がどの機種に落ち着こうと、 その選択は戦闘機の長期的な開発構想に基づくものでなければならない。 選定する際の基準は第一に、戦闘機の開発・生産および運用支援を行う 国内防衛産業の、将来にわたる生産・技術基盤の育成に資するかどうか、 という点にある。戦闘機の運用能力や可働率は防衛力そのものであり、 これを支えるのは防衛産業の基盤能力である。FXの導入により、 国内防衛産業が最先端の革新的な技術を取得できる ようになることが望ましい。 先月、米テキサス州のF35生産ラインを見学して、 その技術革新ぶりに驚嘆した。戦闘機は、機種を決めてから 30年近く使用することになる。FX選定の次には、 F2の後継機をどうするかという問題が、そのまた次には、 主力戦闘機F15の後継機をどうするかという最重要の課題が控えている。 今、3機種ある戦闘機を将来、1機種に絞るのは防衛上望ましくないし、 技術開発面からもあり得ない。となると、 10月13日付本欄でジェームス・E・アワー氏が鋭く指摘したように、 第六世代機の日米共同開発を検討すべきであろう。 ただし、F2後継機は国産開発機とし、F15後継機を (日米基軸の)共同開発機にするという選択肢もあり得るのではないか。 繰り返すが、いずれにせよ、戦闘機開発の長期展望に立ち防衛産業への 貢献度に配慮しつつ、FX選定を行うことが肝要である。 アジア安保環境にどう対応 第二に、アジアの安全保障環境にFXがどう対応できるかだ。 米外交専門誌フォーリン・ポリシー最新号に掲載された クリントン米国務長官の論文は、米国、中国、インドを 「アジア太平洋の3つの巨人」と位置付けている。 日本やロシアは「巨人」の数に入っていない。 こうした戦略観の基礎にあるのは対中戦略であり、 国防費削減を余儀なくされる米国は中国のさらなる台頭を視野に同盟国に 「もっとやれ」と言っている。訪日するパネッタ米国防長官の主要メッセージも、 それである。 中国は、今年すでに初飛行を行った第五世代戦闘機を 2016年以降に展開してくるであろう。 日本に近づき第一列島線を越える中国の空母や洋上艦船、 潜水艦の上空を守る第五世代戦闘機に、適切に対処できなければ、 日本は領土も海上交通路も守れなくなる。 中国のみならず、ロシアもこのところ冷戦時代のように 極東兵力を増強しつつある。主力は冷戦期とは違う最新鋭の海・空戦力だ。 ロシアの第五世代戦闘機も昨年、初飛行を行っており、 15年以降には極東に配備されるであろう。 日米同盟への意味合い考えよ アジア諸国がFXに注目しているのは、それを、 激変する東アジアに対する戦略、とりわけ対中戦略という 日本の国家意思を測る物差しと捉えているからである。 戦闘機は価格よりも性能が優先される。現代戦は、 少しでも性能の優れた兵器体系が他を完全撃破するデジタル戦である。 いずれの戦闘機も高価である。だが、安価な戦闘機をいくらそろえても 性能が相手より低ければ、何の効果もない。 アジアの将来展望を踏まえてFXを選定すべきであろう。 第三に、FXが日米同盟に与える意味を考慮することだ。 日米同盟は冷戦終結後、冷戦期よりはるかに重要な意義を有し、 軍事・外交から経済・エネルギー・環境まで広範な領域に及び、 国家の生存と繁栄に深くかかわっている。 日米同盟における役割分担についていえば、主として、 日本が領域内の防勢作戦に当たり、米国が領域周辺の攻勢作戦を 受け持つとされてきた。この図式は現在も、基本的には変わっていない。 しかし、米国が「もっとやれ」と言っているのは、 領域と役割分担を柔軟に変えろという意味である。 米空軍は、アジア地域にF22とF35を展開させる計画を持っている。 FXの選定に当たっては、そうした事情も念頭に、 日米同盟間の相互運用性(インターオペラビリティー)を 強化するという点も考慮することが必要であろう。(もりもと さとし)
2011年10月19日 アメリカに学ぶ国つくり
アメリカのいいところは歴史が浅い分、団結心が強いということです。 星条旗の下で国のために尽くすことができる精神は子供の時からの 国家に忠誠を誓う習慣ができているからでしょう。 一方日本はどうか? 戦前はそのような教育も徹底していたのだが、 敗戦でそれまでの教育が悪いということになり、 国家への忠誠は戦前の軍国主義の復活を想像させるから いけないということになり、日教組やマスコミが反対キャンペーを張り、 子供に対する愛国精神の教育をしてきませんでした。 その結果、国民に愛国心がなくなり、自分勝手な自由主義を振り回し、 他人はどうなっても構わないという冷たい日本人が出来上がりました。 今その反省の時期にかかっています。 教育界では日教組の衰退は激しく、組合員が激減していると聞きます。 先生が保護者からつるし上げられて、先生自身も自信を無くし、 教えるというよりも、生活の為に先生をしているようです。 すなわち先生の教育に対する情熱がなくなり、 教えるほうが悪いのもわかるが、生徒の方も先生を尊敬していない結果 言う事を聞かなく、学級崩壊もしばしば生じるのです。 教育界を取り巻く不信の連鎖は日本の将来を危うくするでしょう。 教育者も、政治家も、マスコミも、天に唾したものが 自分たちに帰ってきていることを肝に銘じて、道徳を再評価し。 人間としての生き様を学ぶべきでしょう。 【産経抄】 クイズみたいで恐縮だが、米国で初めてオリンピックを開いた 都市をご存じであろうか。 答えはニューヨークでもシカゴでもない。セントルイスだ。 中部ミズーリ州にあり、市域だけだと人口40万足らず、 日本の県庁所在地に多い規模の中都市と思えばいい。 ▼1904年に開かれた第3回大会である。といっても、 この年に行われたセントルイス博覧会の「余興」としてだった。 参加者は10カ国余りの数百人で、大半は米国内の居住者だった。 今の華やかな五輪からは考えられないような地味な大会で終わった。 ▼だが、メダルの作製すら間に合わなかったという前回のパリ大会に比べ、 運営や設備は完璧だった。その後の大会の規範となったそうで、 その意味でセントルイスは五輪史に名前を残した。 日本がロシアと戦っていたころ、地方都市の力を見せつけたのだ。 ▼もうひとつ、この都市の名前を全米中に高めてきたのは 野球のカージナルスである。五輪より早い1882年に創設された 老舗(しにせ)球団だ。スタン・ミュージアルら名選手を輩出し、 ワールドシリーズで10回も優勝したという名門中の名門だ。 ▼そのセントルイス・カージナルスが今年、 ナショナルリーグ18回目の優勝を果たした。 同じ中部、ミルウォーキーが本拠地のブルワーズとの試合を テレビ観戦していて圧倒された。壮絶な打撃戦ばかりでなく、 両市の市民たちの熱狂的な応援によってである。 ▼チームの活躍が市民を元気づけているのは当然だが、 逆に市民たちの情熱が球団を育てている。そんな自分たちの町への 愛情はアメリカという国をも支えてきた。 国情や歴史の違いはあるにしても、日本の国づくりを 考えるとき学んでいいことだ。
2011年10月13日 危険な思想 民主党政権が懸念される最大の点は危険思想を持った方が 政府の要職についているということです。 その点からいえば日本は左翼政権の成立で平和的革命をしたと 同じなのだが、国民が真に求めた結果で左翼政権が誕生したのでないから、 はなはだ不安定な状態なのです。 左翼政権が考えるような政策を遂行すれば、たちまち政治が立ち行かなくなり、 渋滞になってしますのです。 前にもすすめず、後にもすすめず、だだ次の総選挙が来るまで ひたすら何もしなくて、じっとしていればそれまでは飯の食い上げになることは ないという、さもしい考え方の政府の状態なのです。 左翼政権なら左翼らしく年金問題をスパッとかたずけ、 消費税は10%にいきなりあげ、農家には完全所得補償をして 農業をする人は国家公務員並みに優遇するとか、医療費は完全に無料にするとか、 子供の教育費も無料にするとか、給食費もタダにするとか、 子ども手当は外国人も含めて全額給付するとかいろいろ 言いたい放題の政策を挙げていたのだから全部やったらいいのだ。 しかし現実は厳しくて、どれを挙げても実現不可能のことばかりで、 何も実現していない。 初めから絵に描いた餅を並べて「この餅はうまいよ」と騙したのです。 このやり方は中国人が得意のやり方で、民主党がその方法をまねたのか、 そもそも民主党の構成員が中国系日本人か朝鮮系日本人なのかで、 そのような思想は当たり前なのかもしれません。 特に日本のマスコミを牛耳るTV、新聞の中枢にいる自称知識人と 言われる方々は、全共闘の闘士のなれの果てで、 その昔はヘルメットに角棒を持ち、小石を袋に詰めてデモ隊を組み、 警察に投石した勉強不足な学生なのです。彼らの目的は新安保条約反対の為の デモ隊で、安保条約が日本の安全の為にどれだけ寄与したかなどは関心がなく、 ただ当時の岸総理に反対したいからデモをしたような連中なのです。 彼らが今は知識人となっているが、知識人とは専門分野の事は 分かるがそれ以外の事は分からないことを意味しているのには気づきもしないで、 憂国の志士みたいな顔をして新聞等に意見を書いているのを見ると 日本は本当におかしい国になってしまったと思いますね。 安藤慶太氏も日本の将来に不安を感じている方なので、ここに掲載しました。 【安藤慶太が斬る】 拝啓 岡崎トミ子国家公安委員長殿 日本の過去よりまず自分の過去と 向き合うべきではないですか? 謝罪というのは難しい。何をどう謝ったかが大事だし、過ちに見合った 謝罪でなければならない。政治や組織の論理が加わるとなおさら 謝罪が難しくなる。 平成12年の雪印集団食中毒事件を機に企業広報における謝罪会見は 変わったように思う。起こしたことよりも重要なのは起こしたことに 対する企業としての対応である。対応を誤れば、企業生命すら脅かされる。 この事件がその典型例だ。当時の社長がエレベーター付近で寝ずに待っていた 記者団にもみくちゃになりながら会見の延長を記者から求められた。 「ではあと10分」と社長側。 「何で時間を限るのですか。時間の問題じゃありませんよ」 社長も記者も疲労はピークに達していた。記者の口調も詰問調だった。 社長は「そんなこと言ったってねぇ、わたしは寝ていないんだよ!」。 こう声を荒らげ、いらだちを口にしてしまったのだった。 これに一部記者も「こっちだって寝てないんですよ。 そんなこと言ったら食中毒で苦しんでる人たちはどうなるんだ!」。 記者が猛反発し、社長はすぐに謝ったが後の祭りだった。 この会話はマスメディアなどで繰り返し流れ、結果的に雪印グループへの 不信をもたらす結果となってしまった。不祥事を隠し、 なりふり構わず逃げ回る光景に映ったからだった。 誠なき記者会見が増えた 企業には説明責任が課せられ、コンプライアンス(法令遵守)の 徹底が叫ばれるようになった。そして、不祥事が起こると、 役所も企業も幹部が並び、立ち上がって一斉に頭を下げる。 そんな光景が一般的になった。 企業防衛のコンサルタント業が活況を呈し、謝罪で頭を下げる 角度まで指導の対象になってしまっている。 企業が不祥事に真摯(しんし)に向き合い、社会的責任を果たすための説明の 場ならそれはいいことだ。ただ、いろいろな会見を眺めていると、 やりとり自体が洗練された一方で、記者会見が企業生命を守るための心ない 通過儀礼のような場と化していると感じる会見も少なくない。 うまくこなす。乗り切る場。ひどい場合には記者をいかに当たり 障りなくあしらうか。これが主眼となっているように思えてならない 会見がしばしばである。 こうした、こなれた記者会見に報道陣からは糾弾や挑発的な 質問が延々と続いたり、声を荒げる場面にしばしば出くわすようにもなった。メ ディアの横暴が社会の指弾を浴びる対象となることも最近ではしばしばで、 同業者として他の記者の質問をハラハラする思いで見守る機会も増えた。 準備万端のうえ何を聞いても立て板に水、饒舌(じょうぜつ)に 出てくる企業側の説明を耳にしていると、逆に“心なさ”や飽き足りない 思いがこみ上げてくる心理は私にも理解できる。会見者がキレたり 怒りを爆発させたり、感情をあらわにする場面にこそ、本音や人間性、 性根がかいま見えることが多いのも確かだ。 だが、自分の不勉強を棚に上げて挑発的な質問を繰り返したり、 会見自体をかき回すのは愚かしい。ひどい場合にはスリリングな 映像ほしさからか、記者会見をショーのようにはき違えて臨んだり、 質問なのだか、自分の意見表明なのだか分からない質疑も増えたように思う。 いずれにしても会見の意味が、謝罪の持つ本来の意味から懸け離れていくように変わっているのは否めない。 ひょっとして舞台裏では「社長、うまく会見を乗り切りました。 さすがですね」と持ち上げられ、社長は悦にいっているかもしれない。 そんな光景が思い浮かぶのである。こうなると、何でも謝ればいいと なってしまうし、外形的に確かに謝罪はしているのだが、良心の所在すら疑わしい。 実態は、世の中を欺いているとしかいえない。 通用しないとりあえずの謝罪 わが国では謝罪はしても、非は認めていないことがままある、 非は認めないがとりあえず謝ってその場を収めることを好む雰囲気が確かにある。 例えば「世間をお騒がせして申し訳ない」という謝罪の常套 (じょうとう)句がある。これだって、頭は下げているのだが文脈によっては暗に 「騒ぐ世間が間違っている」と言っているに等しい場合がある。 そこをあえてほじくり返したり、詮索(せんさく)したりせずに丸く収める。 それが私たちの知恵であり実際、そうして済ませる場面は身の回りに確かにある。 だが、こうしたやり方が国際的に通用しないことは理解しなければならない。 慰安婦をめぐる河野談話然り、村山談話然り、菅談話然りである。 とりあえず謝ってしまうと、どういう波及があるか。 これはよく考えておかねばなるまい。とりあえずの謝罪は非を認めることを意味し、 信じがたいほどの巨額訴訟を吹きかけられたりする。 日本人自身がいつまでもおとしめられ続け、 耐え難い屈辱の日々を余儀なくされるのである。 反日デモ参加への釈明 前回のこの欄で仙谷官房長官の謝罪が全く謝罪に値しないことを 指摘したが今週、考えさせられたのは岡崎トミ子国家公安委員長である。 岡崎氏は平成15年2月、ソウルの駐韓日本大使館前で、 韓国の慰安婦支援団体主催の反日デモに参加。民主党が野党時代には、 元慰安婦に日本が国家として謝罪と金銭支給を行うための 「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」を繰り返し国会に提出していた 政治家である。 その岡崎氏が国の治安を預かる国家公安委員長に就任するという事態になっている。 就任のさい、菅首相は反日デモ参加について「本人も過去の言動に配慮に 欠けた面があり、誤解を招いたことについて深く反省をし、以後、 注意をしており、内閣の方針に従って職務に邁進(まいしん)していくという 旨を表明されております」と岡崎氏を弁護していた。 一体、岡崎氏は何に反省しているのだろうか。 少し長くなるが岡崎氏の国会答弁をまとめる。 《2003年、私が韓国に参りましたのは、慰安婦とされた過去の戦争の 問題に関して、人の心がたいへん踏みにじられていた。 私どもは日本の中で戦後の問題、過去の問題について取り組むことが 大切だというところで、私たちの活動を説明に参りました。 その場所では、韓国全土から慰安婦とされたおばあさんたち、 被害者の皆さんたちがそこに集まって来られるということで、 私はその報告の場に参加をしました。 私は一応自分の旅費で参りましたけれど、参加したときには 空港の送り迎えについてはもちろん、公用車を使用させていただきました。こ れは国会の活動について報告に行くということで、あくまでも活動の報告だと 思っております》。 もう少し岡崎氏の釈明を聞いてみる。反日デモへの参加について 岡崎氏は国会議員としての活動だと認めている。しかし、それは 「戦争の被害にあった皆さんからしますと、自分たちの要求について、 ぜひ自分たちの願いを聞いて欲しいという気持ちの場」に参加したのであって、 デモの場で「日本反対」、国旗にバッテンの付いたポスターが 掲げられていたことを自分は知らなかった−と述べたのだった。 それが新聞に取り上げられ、私の後ろにそのモノがあったと 新聞の報道を見て初めて知った。新聞には「日本政府を糾弾する岡崎トミ子議員」 というキャプションが付いていて、「そうなんだな」と思った−というのだが、 「私自身はまったく日の丸にバッテンは無関係」だとして抗議は していない−というのだ。 日本国の国旗国歌を皆が尊重することについて私は大事だと考えている。 その上で一連の出来事について「誤解を与えたということについて、 反省をしている」と述べたのだった。 何を反省しているのか これでは何に反省しているのか、よく分からない。 日本の過去に反省を求める人たちが自分の過去にはめっぽう甘かったりする。 誤解とは何か。実は岡崎氏は反日デモに参加したことをいまなお 正しいと思っているのではないか。 法務委員会での稲田朋美議員(自民)との質疑を要約する。 稲田氏「反省の内容だが、抗議をしなかったことを反省しているのか。 何を反省しているのか。デモに参加したことは反省していないということか」 岡崎氏「誤解を受けたことについて、『残念だな』と思って、 その点反省をしている」 「私はまっすぐに自らの国会における行動、活動を報告に行った。 それでまっすぐに、例えばマイクを持って私どもの活動を報告した。 それが全て。その後、写真がそのような結果になっていたが、 それは私の責任ではございません。そういう思いの人たちが韓国の中に いたということで私には無関係だ」 稲田氏「質問に答えてない。いつ誤解について気が付き、 誤解を解くためにどんなことをしたのか」 岡崎氏「私はまっすぐな自分の活動だと当時は考えていた。 それで報道で誤解をした方がいらっしゃったので、それについて 反省をしたということで、それ以上でもそれ以下でもない」 稲田氏「誤解を招いたとはあなたがおっしゃっていることだ。 何に対する誤解を招いたのか。何が誤解なのか。 あなたが反日デモに参加したことは誤解でも何でもない。 そこに「×」の日の丸があったことが誤解なのか」 岡崎氏「つまりその報道で様々に思った方々の中に誤解をされた、 そういう活動だった、行動だったと思って反省をしております」 稲田氏「誤解の内容が明らかでないのに、何を反省しているのか。 何を誤解と考えて、何を反省しているのか。 あなたが韓国のいわゆる従軍慰安婦の反日デモ、日本の大使館に 対する反日デモに参加したことは事実として間違いはない。 じゃあ何を誤解したんですか。趣旨ですか?」 岡崎氏「『反日だと思われたこと』だと思います」 稲田氏「誰が見たって反日です。慰安婦の皆さんが、 大使館に向かって抗議のデモをして、そしてそれにあなたが参加したこと 自体は間違いがないのだから、慰安婦の抗議デモにあなたが 参加したことを誰も誤解はしていない。デモに参加したことを あなたは反省をしているのかしていないのか。どちらか」 岡崎氏「私は今でも私は自ら過去の問題について取り組むことが 大事だと考えている。被害者に向き合うことが大事だと考えて参りました。 その活動です。その報道によって、私の活動が『反日』だと言われたことが 『誤解』だと思っております。私は反日の活動をしたつもりはない。 むしろ、戦争の問題をきっちり答えていく、そしてこの国が 本当に世界の国から誇りを持つ国である、今でも(私は)誇りを持っているが、 そのようにさらに思っていただける。私自身は国益にかなうと思っています」 どこがまっすぐなのか? 反日デモに参加したことを岡崎氏は何ら反省していないのである。 自分が反日と見なされるのは新聞による誤解だというのだが、 ならば、自分の行動について国民を惑わすように反省などといった 言葉を持ち出さずに、まっすぐに日本の過去を非難し続ければいいではないか。 これは「誤解」「反省」という言葉をもてあそびながら国民の 目をごまかしていることにならないだろうか。 岡崎氏は28日の参院内閣委員会で、韓国人などの元外国人慰安婦について 「名誉や尊厳を回復する措置をしっかりとしていきたい。(金銭支給も) 含むものとして検討していかなければならないと思う」と述べ、 新たな個人補償を検討したい考えを示したのだった。 政府はこれまで、先の大戦にかかわる賠償、財産、請求権の 問題はサンフランシスコ平和条約と2国間条約で対応しており、 新たに個人補償を行うことはできないという立場を堅持してきた。 岡崎氏の発言はこれを大きく逸脱しており、政府の方針に従って 職務に専念する菅首相の発言と矛盾することもいうまでもない。 私は岡崎氏に日本の過去よりもまず自分の過去と向き合うべきだと思っている。 今、中国では多くの反日デモが行われている。これは日本の治安とも無関係ではない。 日夜警察も情報収集に努めているはずである。 慰安婦や日本の過去をめぐり、日本を指弾し糾弾するデモが国内で起きれば、 それは日本の国益を損ないかねない事態であり、日本の警察は組織を挙げて重大な関心を払う。 ところがその警察組織を指導監督する立場の国家公安委員長がこうした 反日デモに参加する意義を国益にかなっているといってはばからないのである。 これでは警察活動は成り立たない。わが国の治安の脅威ではないだろうか。 (安藤慶太=社会部編集委員)
2011年10月7日忍び寄る「重税国家」に警戒せよ
竹中平蔵氏は私が尊敬する知識人の一人です。 経済のことがよくわかった方で、彼の理論の実践で銀行が息を吹き返し、 景気が回復したことを忘れてはいけない。 小泉政権時に郵政民営化など、竹中氏が進めた経済政策について、 「アメリカのいいなりの経済政策を行っている」(対米従属)という批判に対し、 竹中氏は「民間でできることは民間でやることが国民や 国全体のためになるという思いでやっている」(官から民へ)、 「アメリカのためにやるなどと考えたこともない」などと答弁している。 また、「規制緩和で既得権を失う人たちが、私のことを憎いと思って、 そういう感情的なレッテルを無理矢理貼っている。 これは抵抗勢力の常套手段です」とも発言している。 色々あったが、総じて彼のやった政策は成功しているのです。 民主党が何もやらない経済政策で日本を不景気のどん底に 追い込んでいるのと比べると、雲泥の差です。民主党の経済政策は 何もありません。 あるのは大衆迎合の人気取り政策で中身は、政策と言える代物ではないからです。 だから景気がだんだん悪くなるのは当たり前なのです。 誰でもが解っていながら、マスコミや新聞が騒がないから、 気づかずにいるだけです。サラリーマンは確実に給料の 手取りが減っていると思いますよ。商売人は売り上げ低下と 価格破壊で商売になりません。建設会社は事業縮小で倒産寸前です。 飲食店は低価格のレストランしかはやらないし、飲み屋は夜逃げ寸前です。 ラーメン屋、焼き鳥やいずれも客足は半減だそうです。 民主党政権が世の中をだんだん暗くしていきます。 大企業は日本を離れ外国に活路を見出しているし、 日本国内には公務員労組と教職員組合だけが生き残るでしょう。 これが現実です。そのうちに国民の多くが公務員の国のギリシャ みたいになるかもしれません。 恐ろしいですね。 【正論】慶応大学教授・竹中平蔵 臨時国会で、野田佳彦政権下初の予算委員会が開かれ、 ようやく政策論戦が始まった。しかし正直なところ異様な風景が 展開されたように思える。経済政策ではほとんど深まった議論はなく、 ただ「増税」のみが華々しく打ち出された。 当面の議論の対象となる復興増税は大義なき増税であり、 将来に禍根を残す政策となろう。 参院予算委の終盤、「たちあがれ日本」の片山虎之助議員が復興増税を 批判する質問に立った。 「政府は毎年40兆円を超える赤字を垂れ流し、 これを放置している。一方で、今回1回限り10兆円強の支出である 復興費用だけを狙い撃ちし、鉦(かね)や太鼓を打ち鳴らして 増税しようとするのは全くバランスを欠いている。 支出の中身が決まらないのに増税の中身や期間だけをやたら細かに 議論するのはなぜなのか」。 野田首相からは納得いく答弁は聞かれなかった。 国債整理基金11兆円活用せよ 厳しい経済状況だからこそ、守るべき鉄則がある。 それを踏み外した政策は必ずやしっぺ返しを食うというのが歴史の教訓だ。 関東大震災時、「震災手形割引損失補償令」(震災手形割引法)を発布し、 決済不能もしくは流通困難になった手形を日銀が再割引する措置をとった。 だが、自己責任を旨とする市場経済で、そんな手段は 「救済によるモラル・ハザード」を引き起こす。現に、 政府と関係の深い大企業が事実上、不良債権化した手形を日銀に持ち込んで、 こうした不良債権の存在が4年後の昭和金融恐慌をもたらした。 原理原則からいえば、恒久的支出は恒久的歳入、 つまり税収で賄う必要がある。 だが、一時的支出の返済は、埋蔵金取り崩しなどの一時的歳入を活用するか、 国債を発行し長期に平準化することによって行わなければならない。 復興費用は一時的支出であり、本来なら国債整理基金の 11・5兆円を埋蔵金として生かすべきである。 そもそも、制度自体が不可思議である。国債での借入額を 返済期間で割って積み立てる、そんな仕組みを持つ国は基本的にない。 企業や個人に例えてみれば、1000万円借り入れて 10年で返済する場合、その企業や個人は1100万円の借り入れを しなければならなくなる。長期で借り入れて短期で積み立てれば、 その金利差額が実質負担になる。余計な借り入れをして不必要な 金利負担をする…こんなALM(資産・負債の総合管理) を行う組織があるだろうか。日本政府の場合、金利差額だけで 年間1000億円の実質負担増になるという試算もある。 復興の多くは建設国債で賄え 首相は「復興費は現世代で負担すべきだ」とよく言う。 が、ちょっと待ってほしい。そんな増税は関東大震災でも 阪神淡路大震災でもやらなかった。それを、「現世代で負担」の 美名の下に、今後も震災の度に強いるというのか。 さらには、建設国債と赤字国債の線引きはこれまでも曖昧なままに されてきたが、今回の支出の多くは建設国債になり得る。 建設国債の償還は60年で、10兆円強の国債を償還する 年間コストは消費税換算で0・08%程度だ。それを何が何でも 増税しようとする、この大騒ぎが滑稽に映るのである。 次世代につけを残してはならぬと言いながら、 政府は赤字のたれ流しを加速させている。 厚生労働省によると、国民が使う年間医療費総額が2009年度には 前年比3・4%増の36兆円と過去最高を更新した。 このままだと25年度には50兆円を超すとの見通しがあるにもかかわらず、 社会保障の歳出見直しはほぼ手つかず状態だ。 政府は、10年までの5年間で人員を7・5%(約23万人)スリム化できた、 地方公務員の削減要請も一時休止する方針を決めたという。 要請を止めると結果的に全国で統一的な歳出抑制も止まる。 政府が本気で次世代のことを考えているとは到底、思えないのだ。 増税は臨時にあらず長期化? こうしてみてくると、そこまで無理筋の復興増税にこだわる裏に 何らかの意図が隠されているのではないかと勘繰りたくもなる。 例えば、復興費用は長期的な放射能の除染費用まで含めると、 途方もなく増大する可能性がある。ある原子力専門家の試算では、 除染費用は今後30年で50兆円に上るという。 試算は、汚染地域を国が買い取るかどうか、 どこまで除染するかによっても大きく異なってこようが、 政府は現時点で当面のコストを云々(うんぬん)するのみである。 野田首相は参院予算委で、「復興事業(費)が膨らむのも当然ある。 …税負担が増えるとは必ずしも言えないが、可能性はある」と述べ、 「10年、若干プラスになるかもしれない」と、 増税期間が10年を超す可能性にも言及した。 復興増税は短期・臨時のものではなく、相当に長期化し 半恒久化する懸念があるのではないか。東北のためなら、 という国民の善意に乗じる形で安易な増税を行ってはならない。 首相は経済状況を理由に増税を先送りはしない考えも強調している。 政権が増税の渦に包まれる中、日本が重税国家に向かうリスクが 忍び寄っている。(たけなか へいぞう)
2011年10月6日縮む日本に偽の予言者 偽の預言者とはよく言ったものだ。 日本の為にならない悲観主義者の集まりが知識人に多い。 知識人だから何でも知っていると勘違いするが、 専攻分野のことについては知識が豊富だということだが、 他のことはからきし知識がないことを意味します。 だから偏った判断をしていると考えた方がいいでしょう。 知識人が言っていることは参考にはなるが、 決め手に名ならないということです。 新聞や、TV解説などによく出てくるような人でも信用してはいけない。 いろんな意見の一つとしてだけとらえなければ、間違いを起こします。 そのことを警告しているのが東谷 暁氏なのです。 【今日の突破口】 ジャーナリスト・東谷暁 萎縮する日本−それがいま進行中の現象だ。 東日本大震災からの回復を試み、福島第1原発事故への対応を行い、 世界経済の混乱に対処するために、日本は持てる力を振り絞らなくては ならないというのに、日本人は自らうずくまって、 何もする気がないようにすら見える。 まず、大震災からの回復策として野田佳彦政権が提示しているのが、 あきれたことに「増税」なのだ。野田首相は首相になる直前にある雑誌に、 自らの政権構想を発表して3つの「危機」を並べたものだが、 驚くべきことにそこに東北の危機はなかった。 さすがに首相就任の際には復興を最初に掲げたが、 そこで提示したのが経済抑圧策なのである。 ご都合主義的にあれこれ言ってみても野田首相には危機意識がまるでない。 このままでは日本経済がさらに縮小していくだけのことだろう。 また、野田政権は停止中の原発を来年夏までに再稼働したいと述べたが、 マスコミ世論に遠慮してすぐに期限を取り消した。 確かに、福島の事故を深刻に受け止めることは必要だが、 問題を前にして困難なことから逃げ出すこととはまったく異なる。 事故以来、エネルギーなどいらないから原発は停止しろという 論者が増えて、マスコミも煽(あお)りに煽っている。 しかし、世界で福島の事故以降にイタリア、ドイツ、 日本という第二次大戦の敗戦国以外、脱原発を政策で言い出した 大国は見当たらない。単に日本は原子力をめぐる国際政治という 厳しい現実から尻尾を巻いて遁走(とんそう)を始めたにすぎないのだ。 さらに、アメリカやEUが自ら招いた経済危機で景気が後退しているとき、 日本はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)という、 他国の雇用増加策を喜々として受け入れようとしている。 財界は米韓FTA(自由貿易協定)が韓国の対米輸出を急伸させたから TPPで日本もそうしようといっているが、 まだ、批准もされていない米韓FTAが輸出を伸ばせたわけがない。 にもかかわらず、日本経済のデフレを加速する経済協定に 唯々諾々として従おうというのである。 経済戦略の感覚が麻痺(まひ)しているとしか言いようがない。 このところ、論壇の少なからざる人たちが、大震災と福島原発事故を きっかけに新しい時代に突入したと盛んに述べ立てている。 しかし、その話を聞いてみるとほとんど例外なく、 いまの文明が崩壊に向かっているから、現在の技術も経済も 価値観も失効していくというのである。 そういえば思い当たるのは、東日本大震災が起こった直後、 鬱状態に陥った知人が何人かいた。これは後で調べてみると、 大災害のときにはしばしば起こる現象らしい。 高級そうに見える文明転換論や異相社会論などというのも、 日本人が今回の事態にショックを受け、萎縮し、うずくまり、 麻痺し、現実から目をそむける鬱状態ではないのだろうか。 そこにあるのは偽の文明転換論であり、まがいものの終末論であり、 勘違いの脱近代論にすぎない。 世界は相変わらず技術文明のなかにどっぷりと漬かっており、 跳梁(ちょうりょう)しているのは偽者の予言者ばかりで、 近代経済システムは相変わらずきしみ続けて災厄をもたらしている。 私たちに必要なのは、怪しげな予言をすることではなく、 目の前の試練と闘うことである。(ひがしたに さとし)
2011年10月5日菅氏不起訴 外国人献金お咎めなしか この国の法律は政治家に都合がいいようにできている。 役人や政治家が法律の原文を書き、都合が悪いところは、 あやふやにしているようです。 民間がコンプライアンスを守らないときは、厳しい方に解釈し、 役人の考えが優先するように思うのだが、いかがでしょうか? 役人であろうが、民間であろうが、政治家であろうが法律の適用には また法律の制定には普遍的に平等でなければならないのだが、 古今東西どうも差別があるのが日常のようです。 日本では諸外国のようには顕著ではないのだが、まだ匂いが 残っているようです。 いやな世の中ですね。 【主張】 政治資金規正法で外国人からの献金は禁止されているのに、 「外国人とは知らなかった」と主張すれば罪に問われない。 こんなことでは外国勢力の影響力を排除することなどできず、 規正法はザル法に陥ってしまう。 菅直人前首相の資金管理団体が在日韓国人男性から104万円の 献金を受けていた問題で、東京地検特捜部は前首相に対する 規正法違反罪での告発について不起訴処分(嫌疑なし)とした。 同じく在日韓国人献金が判明した野田佳彦首相や 前原誠司民主党政調会長も「知らなかった」で乗り切ろうとしている。 総務省政治資金課が、禁止規定の適用には「罪を犯す意思がない行為は、 罰しない」とする刑法の規定も合わせて考えると解釈しているからだろう。 検察側が「故意を認める理由がない」と不起訴にしたのも同様の判断だ。 だが、それでは法の趣旨に反しよう。外国人や 外国法人からの寄付について「政治活動に関する寄付を 受けてはならない」というのが規正法の規定だ。 3年以下の禁錮、50万円以下の罰金などの罰則を設け、 処罰されれば公民権停止の対象となる重大犯罪に外国人献金を位置付けている。 いかにして国家主権を守るかという観点から禁止規定の運用を 考えるべきだ。その意味で、民主党などが「寄付をしてくれる相手に、 いちいち国籍を確かめるなど困難だ」と主張するのはまったくおかしい。 政治家にとって、献金元がどういう人物かを確かめるのは当たり前のことだ。 外国人献金が違法と咎(とが)められない方向で法律を 改正しようという動きがあるのも到底、容認できない。 民主党は代表選で在日外国人の党員・サポーター投票を認めている。 外国人献金を受けやすい素地を自ら作っているのだ。 規正法は、政治資金収支報告書の虚偽記載などの違法行為について、 故意ではなく「重大な過失」でも罰する規定を持つ。 鳩山由紀夫元首相の元政策秘書も重過失で罰金刑を受けた。 抜け道を作らないよう法の見直しも必要だ。 菅前首相は韓国人男性に返金した領収書の提出を国会から 求められながら応じていない。首相辞任でうやむやにすることは許されない。 野田首相も「調査中」として先送りしている献金受領の経緯説明を 早急に行うべきだ。
2011年10月4日 相変わらず遅々として進まないのが政治 いつものことだと思っているが、特にこの頃は政治に 飽きてきた。 面白くないのである。政治家は何が面白くて政治を やっているのだろう? 政治家と乞食は3日やったらやめられないと聞くが、 ほんとだろうか? 自分の権力を成就させる手段や、経済力を付ける手段としては 優れているのだろう。 嘘も言いとおせば本当のことになるという信念のもとに政治家を やっているようだが、 昨今はインターネットが普及してツイッタ―が流行りだしているので そうもいかないようだ。 より一層の身の潔白をガードしていんなければ潰されてしまうのです。 大変な世に中になりました。 政治家が嘘をつけなくなりつつあるからです。
【正論】 拓殖大学大学院教授・遠藤浩一 存在感を誇示する声高な少数派 鳩山由紀夫元首相が、「国民の代表がクルクル代わるようでは、 (国際社会での)日本のプレゼンスが見えない」と託宣したという (9月18日、ニューヨーク)。野田佳彦内閣を短命政権にしてはならない、 との趣旨なのだろう。 ≪耳疑う鳩山氏の回転ドア批判≫ この人の言うことは聞き流そうと、日頃自らに言い聞かせているのだが、 報道記事を読めば、やはり心の中に細波(さざなみ)が立つ。 指摘自体は当を得ている。鳩山氏に言われるまでもなく、 何代も超短命政権が続くのは異常である。こんなことでは、 国際社会から信頼されなくなるだけではなく、国家そのものが 立ちゆかなくなる。 が、1年足らずで辞めた鳩山氏にそれを言う資格があるのか。 「あなただけには言ってほしくない」と、舌打ちしたくなるのは 筆者だけではあるまい。 だからといって、鳩山内閣が2年も3年も続けばよかったと 言いたいわけではない。鳩山氏や菅直人氏があれ以上、政権に居座り 続けていたならば、「日本のプレゼンス」はさらに低下していたに 違いない。「短期政権は好ましくない」という一般論は、 劣悪な政権を延命させる理由にはならない。鳩山、菅の両氏、 遡(さかのぼ)って自民党政権末期の首相も含め、彼らが1年で 辞めたことより、その程度の内閣を粗製乱造してきたことが問題なのである。 そこには、いくつかの背景ないし理由がある。 ≪吉田〜佐藤と器量の違い歴然≫ 第一に考えられるのは人材の劣化という問題である。 与野党ともに政治家の質が低下していると、よくいわれる。 昭和20年代から30年代に活躍した吉田茂、岸信介、三木武吉、 芦田均、西尾末廣、池田勇人、佐藤栄作らと、今日の政治家を比較すると、 器量の違いは歴然たるものがある。 ただし注意しておかなければならないのは、短期政権はいまに始まった 現象ではないという点である。ほぼ1年単位で交代する昨今の 状況は確かに由々しいが、野田氏を除く戦後の32人の首相のうち 在職期間が1000日をこえた本格政権は、吉田、岸、池田、佐藤、 中曽根、小泉の6内閣だけで、むしろ短命内閣が当たり前のように 続いてきている。人材の劣化を嘆くだけでは、この問題は解決しないと いうことだ。 第二は、現行の二院制と選挙制度の問題である。昨今はいわゆる “衆参ねじれ現象”が政権をより不安定にしている。 似たような選挙制度(選挙区と比例代表の組み合わせ)を 採用する2つの院の国政選挙を1年から2年の間隔でやっていれば、 民意が変わる度に政権が動揺するのはある意味当然である。 衆議院と参議院の役割分担を明確にし、政治の機動性と安定性を 担保するには、二院制の是非も含め、抜本的な検討が求められる。 少なくとも両院の議員選出方法を根本的に異なるものにしなければ、 機能分化ははかれまい。昨今の選挙制度改革論議は、専ら 「一票の格差」是正を動機としているが、衆議院はともかく 参議院については、絶対平等論から解放された視点が求められる。 とはいっても、「ねじれ」のおかげで、民主党政権の暴走に ブレーキがかかっているという側面もある。もちろんブレーキが かかりすぎれば、復興などの懸案は前に進まない。そこで、 与野党が協調してこの難局にあたるべきだという声が出てくるのだが、 野党なき民主主義は必ず堕落する。悩ましいところである。 また、選挙制度には一長一短があり、その改革ですべてが 解決するというのは幻想でしかない。 ≪奮起せよ、戦後世代の政治家≫ 第三は、政党構造の問題である。長期政権の惰性の中で自己鍛錬を怠り、 有権者から見放されてしまった自民党と、政権担当能力を持たぬまま 政権を奪取したものの、果たして限界を露呈した民主党。 この2つの中途半端な政党が対峙(たいじ)する構造には無理がある。 保守が与野党に分裂して不毛な抗争を繰り広げるのを尻目に、 左翼の生き残り−ノイジー・マイノリティー(声高な少数派)が 分不相応な存在感を誇示している。菅氏ごときが日本国の宰相に 就いてしまったのも、このたびの輿石東氏の幹事長就任もそれである。 野田新首相に期待するものがあったとするならば、 それはこの不毛な政党構造を越えた指導力を発揮することだった。 が、どうやら、彼は、民主党という小さな器の中の「ノーサイド」で手一杯らしい。 かつて岸信介や三木武吉、あるいは緒方竹虎、大野伴睦らは、 民主党や自由党といったちっぽけな器を守るのではなく、 国家を再建するという大きな目標に向けて、過去の因縁を封印し、 保守合同(昭和30年)という大事業を達成した。器量が違う。 おや、話が堂々巡りになってしまった。 とどのつまりは、戦後世代の政治家が、より高い視点を獲得すべく、 奮起するしかないということなのである。(えんどう こういち)
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